第二次世界大戦以前、アメリカ人の生活は今日とは大きく異なるものでした。1930年代の大恐慌以来、経済は深刻な苦境に陥り、高い失業率と貧困率が社会を悩ませていました。しかし、真珠湾攻撃に至るまでの数年間で、経済状況は徐々に回復の兆しを見せ始めます。ニューディール政策が雇用創出に貢献し、景気も成長へと向かいつつあったのです。
大恐慌からの回復途上にあった経済
ルーズベルト政権が推し進めたニューディール政策は、公共事業などを通じて多くの雇用を生み出しました。失業に苦しんでいた人々に再び働く場が戻り、消費活動も少しずつ活発化していきます。とはいえ、大恐慌の傷跡は依然として深く、一般家庭の暮らしが豊かになったとはまだ言えない時代でした。
欧州の戦火に淡かった国民の関心
1939年にヨーロッパで戦争が勃発しても、多くのアメリカ人はそれほど心配していませんでした。人々の関心は、あくまで自分たちの経済問題や、大恐慌後の生活再建に向けられていたからです。
フランクリン・ルーズベルト大統領はアメリカを戦争に巻き込まないよう努めていましたが、その一方で、いずれ合衆国が紛争に引き込まれるのは時間の問題であることも理解していました。
1941年12月7日、「不名誉の日」
そして1941年12月7日、日本軍がハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を奇襲攻撃しました。この攻撃により2,400人を超えるアメリカ人が命を落とし、合衆国は第二次世界大戦へと突入することになります。
攻撃の翌日、ルーズベルト大統領は連邦議会で演説を行い、この日を「不名誉の日(date which will live in infamy)」と呼びました。この演説は、宣戦布告への世論を一気に固めることとなったのです。
攻撃がもたらした社会の激変
真珠湾攻撃は、アメリカ社会と文化に計り知れない影響を与えました。国民の間に愛国心が高揚し、戦争遂行への支持が一気に広まります。
経済面でも大きな転換点を迎えました。工場が次々と軍需物資の生産に切り替わると、経済は急速に活況を呈します。その結果、アメリカは大恐慌以降初めて完全雇用の状態を経験することになったのです。
女性の社会進出という大きな変化
戦時中には、もう一つ見逃せない変化が起こりました。それが女性の労働力への本格的な参入です。従来男性が担ってきた工場労働などの職種に多くの女性が就き、戦争遂行に大きく貢献しました。
彼女たちは、これまで「女性には難しすぎる」「危険すぎる」とされてきた仕事にも十分対応できる能力を持っていることを証明し、その後の社会における女性の地位向上への道を開くこととなります。
まとめ
真珠湾攻撃前のアメリカは、大恐慌の傷を癒やしながら回復への道を歩み始めたばかりの時期でした。しかし、あの奇襲攻撃を機に、国は一変します。戦時中の年月は、アメリカ人にとって大きな変革と犠牲の時代であり、その経験は国の社会や文化に永続的な足跡を残すこととなりました。