歴史物語

バルトロメ・デ・ラス・カサスは探検家だったのか?その動機と真の姿を解説

バルトロメ・デ・ラス・カサスは探検家だったのか?

バルトロメ・デ・ラス・カサス(Bartolomé de las Casas)が探検家であったことを示す証拠は一切ありません。彼はスペインの歴史家であり、ドミニコ会の司祭として、スペインによるアメリカ大陸植民地化に関する著作で広く知られています。

なぜ「探検家」と誤解されるのか?

ラス・カサスは1502年に新大陸へ渡り、以降も大西洋を複数回往復して、イスパニョーラ島、キューバ、中央アメリカなど各地を訪れています。こうした豊富な渡航歴から、コロンブスのような探検家と混同されることがあるようです。しかし、彼の目的は未知の土地の発見ではなく、植民地の運営、そして後には先住民の保護活動にありました。

ラス・カサスの実際の経歴

1484年頃にセビリアで生まれたラス・カサスは、当初は入植者として新大陸に渡り、エンコミエンダ制と呼ばれる先住民労働制度に関わっていました。しかし、先住民が過酷な扱いを受ける現実を目の当たりにし、次第に彼らの権利を擁護する立場へと転換していきます。

1510年代に司祭に叙階され、のちにドミニコ会へ入会。以降は執筆と社会活動に専念し、スペイン王室に対して先住民への虐待を告発し続けました。主著『インディアス破壊についての簡潔な報告』は、征服者たちの残虐行為を記録した衝撃的な書物として、今日でも世界中で読み継がれています。

歴史に残った功績

ラス・カサスは「インディオの保護者」の称号を与えられ、晩年にはチアパス司教を務めました。1566年にマドリードで亡くなるまで、先住民の搾取や差別に反対する声を上げ続けた彼は、近代的人権思想の先駆者の一人として高く評価されています。

まとめ

「探検家になった動機は何か」という問いの前提自体が誤りであり、ラス・カサスの真の姿は歴史家・司祭・先住民の擁護者です。新大陸への渡航は数多くありましたが、それは探検のためではなく、宣教と人権擁護の活動のためだったのです。