結論から言えば、デヴィッド・リヴィングストンはナイル川の源流を発見できませんでした。彼は生涯をかけてアフリカ内陸部を探検し、ヨーロッパにおけるアフリカ大陸の地理や自然史に関する知識を大きく広げましたが、ナイル川の源流を確定的に特定することは最後まで叶わなかったのです。
リヴィングストンが追い求めた「ナイルの源」
スコットランド出身の宣教師にして探検家であるリヴィングストン(1813年〜1873年)は、19世紀半ばから晩年まで、アフリカ大陸の探検に人生を捧げました。当時のヨーロッパでは、世界最長の川の一つであるナイル川がどこから流れ出しているのかという「ナイル源流問題」が最大の地理学的謎の一つとされ、多くの探検家がその解明に挑んでいました。
リヴィングストンもまた、この謎の解明を生涯の使命の一つと考え、ザンベジ川の探検や中央アフリカへの遠征などを通じて、源流の手がかりを求めて旅を続けました。彼はコンゴ川水系のルアラバ川こそがナイルの上流ではないかと推測し、その確認のために過酷な探検を重ねましたが、確たる証拠をつかむことなくこの地で力尽きました。
それでも残された大きな足跡
源流発見という目標は達成できなかったものの、リヴィングストンの業績は計り知れません。
- 地理的知識の拡大: ヴィクトリア滝(現ザンビアとジンバブエの国境)の存在をヨーロッパに紹介するなど、未知だった内陸アフリカの地形を詳細に記録しました。
- 自然史・民族誌への貢献: 動植物の観察記録や現地の言語・文化に関する報告は、学術的にも高い価値を持っています。
- 奴隷貿易廃止運動への影響: 東アフリカにおけるアラブ系奴隷貿易の実態を告発し、国際的な廃止運動を後押ししました。
1871年には、行方不明となっていた彼を探し当てたヘンリー・モートン・スタンレーとの有名な出会い——「ドクター・リヴィングストン、お元気ですか?(Dr. Livingstone, I presume?)」——が実現し、世界中の注目を集めました。
ナイルの源流は誰が特定したのか
ナイル川の源流については、リヴィングストン以前にジョン・ハニング・スピークが1858年にヴィクトリア湖を「発見」し、これが白ナイルの主要な水源であると主張していました。スピークの説は当初議論を呼びましたが、後にヴィクトリア湖がナイル川の主要な源流であることがほぼ確定しています。ただし、ナイル川は複数の支流を持つため、「源流」の定義自体が今なお議論の対象となることもあります。
まとめ
デヴィッド・リヴィングストンはナイル川の源流を発見することなく、1873年に現在のザンビアの地でこの世を去りました。しかし、彼がもたらした膨大な探検記録と人道的な信念は、後世のアフリカ探検や地理学研究、そして奴隷貿易廃止運動に深い影響を与え続けました。「源流を発見できなかった」という事実は、彼の偉大さを損なうどころか、むしろその挑戦の壮大さを物語っていると言えるでしょう。