アフリカの歴史

第一次世界大戦の引き金を引いた秘密結社「黒手組(ブラック・ハンド)」とは?

黒手組(ブラック・ハンド、セルビア語:Crna Ruka/ツルナ・ルカ)は、1911年にセルビアで設立された秘密結社です。構成員の多くは軍人、政治家、知識人であり、南スラブ諸民族を武力によって単一のユーゴスラビア国家へ統合することを目標としていました。この組織は、1914年のオーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公暗殺事件(サライェヴォ事件)への関与で広く知られており、この事件が第一次世界大戦勃発の直接の引き金となりました。

黒手組の設立背景

黒手組は1911年5月、ベオグラードにおいて、オーストリア=ハンガリー帝国による1908年のボスニア・ヘルツェゴビナ併合に強い不満を抱いていたセルビアの軍人たちによって設立されました。当初の名称は「統一か死か(Ujedinjenje ili Smrt)」でしたが、後に目的達成のためには暴力も辞さないという決意を象徴する「黒手組(Crna Ruka)」へと改称されました。

組織構成と資金源

黒手組の構成員は、軍人、政治家、知識人、学生など、セルビア社会の幅広い層から集められました。組織は厳格な階層構造を持っており、ベオグラードに中央委員会が置かれ、セルビア各地およびボスニア・ヘルツェゴビナに地方支部が設置されていました。活動資金は、セルビア政府からの支援、個人からの寄付、独自の資金調達活動など、複数の源泉から供給されていました。

黒手組の主な活動

黒手組の最大の目標は、すべての南スラブ民族を単一のユーゴスラビア国家として統一することでした。この目標を達成するため、組織は以下のような多様な活動を展開しました。

プロパガンダ活動

黒手組は新聞、パンフレット、その他の出版物を通じて活発な宣伝活動を行いました。これらのプロパガンダは「大セルビア主義」の理念を推進し、南スラブ民族に対してオーストリア=ハンガリー帝国への抵抗と蜂起を呼びかけるものでした。

テロ活動

黒手組は、ボスニア・ヘルツェゴビナにおけるオーストリア=ハンガリー帝国の官憲や一般市民を対象に、数々のテロ攻撃を実行しました。これらの攻撃は、帝国側にセルビアへの報復行動を促し、結果としてより大規模な戦争へと発展させることを狙ったものでした。

暗殺

黒手組の最も有名な行動は、1914年6月28日にサライェヴォで実行されたフランツ・フェルディナント大公の暗殺です。この事件は、第一次世界大戦勃発の直接的な契機となりました。

サライェヴォ事件の詳細

1914年6月28日、オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、ボスニアの首都サライェヴォを公式訪問中に暗殺されました。犯人は、黒手組と関係を持っていた青年ボスニアのメンバーであるガブリロ・プリンツィプでした。黒手組は暗黒手組は暗殺者たちに銃器や爆弾を提供し、越境ルートの手配なども行ったとされています。この事件を受けてオーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告し、列国間の同盟関係が連鎖的に発動されたことで、紛争は第一次世界大戦へと拡大していきました。

解散と歴史的評価

黒手組は1917年に解散しました。セルビア政府は、組織の過激な活動がセルビアの国際的な評判を損ない、戦争遂行への支持獲得を困難にしていると判断したのです。しかし、黒手組の遺産は消えることなく、その後長年にわたってセルビアのナショナリズム運動に影響を与え続けました。