ユリウス・カエサル(英語読みではジュリアス・シーザー)は、共和政ローマの終焉から帝政ローマへの移行期に活躍した軍人・政治家です。彼の政治的キャリアは、数々の重要な役職と歴史的な出来事によって特徴づけられます。ここでは、カエサルが統治や要職に就いた主な年代を時系列でご紹介します。
第一回三頭政治(紀元前60年〜紀元前53年)
カエサルは、グナエウス・ポンペイウス・マグヌス(ポンペイウス)およびマルクス・リキニウス・クラッススという二人の有力者と手を結び、「第一回三頭政治」を形成しました。この非公式な政治同盟により、カエサルはローマ政界で強大な影響力を握ることになります。
初めての執政官(コンスル)就任(紀元前59年)
紀元前59年、カエサルは初めて執政官(コンスル)に就任しました。ローマ共和政における最高位の官職であり、ここから彼の本格的な政治的飛躍が始まります。
ガリア属州総督(プロコンスル)としての統治(紀元前58年〜紀元前51年)
執政官任期終了後、カエサルはガリア属州の総督(プロコンスル)として約8年間にわたり統治と軍事指揮を行いました。この期間の「ガリア戦争」での勝利が、彼の名声と軍事的基盤を大きく高めることとなりました。
ルビコン川渡河(紀元前49年)
紀元前49年、カエサルは「賽は投げられた」の言葉とともに有名なルビコン川渡河を敢行し、ローマ内戦の口火を切りました。
独裁官としての統治(紀元前49年〜紀元前44年)
内戦で勝利を収めたカエサルは独裁官(ディクタトル)に就任し、事実上ローマの最高権力者として統治を行いました。この期間に彼は暦の改革や各種の政治制度の整備など、数々の改革を推進しています。
監察官(ケンソル)就任(紀元前44年〜紀元前43年)
紀元前44年には監察官(ケンソル)に就任し、執政官も兼任しました。しかし同年、カエサルはブルータスら元老院派による暗殺事件(3月15日)でその生涯を閉じることとなります。
まとめ
カエサルの統治とキャリアは、三頭政治の結成から執政官就任、ガリア統治、ルビコン川渡河を経て独裁官としての支配へと至る、劇的な展開に満ちています。彼の死後、ローマは帝政へと移行し、その養子オクタウィアヌス(アウグストゥス)が初代皇帝となりました。