大都市の生活に欠かせない存在となったファストフード。しかし、その起源は必ずしも西洋文化とは結びついていないことをご存じでしょうか。

忙しい現代人を支えるファストフード
慌ただしい日々を送る私たちにとって、きちんとした食事をとる時間がないとき、代わりとなる手軽な食べ物がエネルギー補給の頼みの綱になります。社会的・経済的な立場を問わず、ファストフードはさまざまな人々の心身を支える存在となってきました。多くの人にとって、この習慣こそが、「食べる時間」が新たな意味を持つようになった現代ならではの特徴と言えるでしょう。
では、そもそもファストフードという発想はどこから生まれたのでしょうか?
アメリカ発祥と思われていたが…
歴史の中で、このような即席の空腹解消法は、さまざまな時代や場所で自然に生まれてきました。一般にファストフードはアメリカの食品産業による発明だと考えられています。確かに今日では、多国籍チェーン店として世界中の大都市のどこでも簡単に見つけることができます。しかし、「アメリカ生まれ」とされるこの発明には、実は別の候補者が存在するのです。
江戸にあふれた屋台の活気
19世紀前半、当時「江戸」と呼ばれていた東京の街は、働き者の人々で通りがあふれる賑わいを見せていました。時が経つにつれ、この活気ある市場性に目をつけた数多くの屋台が街じゅうに広まり、手軽に作れて価格も手頃なおいしい料理を提供するようになりました。日本人の間で、こうした飲食形態は「屋台(yatai)」として知られるようになったのです。
華屋与兵衛が生んだ革命
一部の研究者によれば、腕利きの料理人華屋与兵衛(はなや よへい)は、こうした屋台の喧騒の中で、日本料理に古くから伝わる一品の調理法を再構築する画期的なアイデアを思いついたといいます。その元となったのは「祖先的なすし」とも呼べる料理で、米を生魚の保存手段として利用するものでした。時代が下ると、米を魚と一緒に食べる「なれずし(鮓)」へと進化していきます。
現在の寿司の原型
華屋与兵衛の偉大な功績は、酢で味付けしたご飯を使い、茹でた野菜や生魚などの具材と組み合わせて提供するという手法にありました。仕上げとして、全体を海苔(nori)と呼ばれる食用海藻の薄板で巻き、わさび(辛みのある根茎)とガリ(甘酢漬けの生姜)を添えて供しました。こうして庶民に愛される寿司が誕生し、その後の日本人移民の波とともに、世界の四隅へと広まっていったのです。現在私たちが知る握り寿司のスタイルを確立した人物として、与兵衛の名は日本の食文化史に深く刻まれています。