本記事では、中世インドにおける二大宗教改革運動である「バクティ運動」と「スーフィー運動」について、その起源や代表的な聖者たちの功績を中心に解説します。

バクティ運動とは
バクティ運動は、中世期にアルヴァール聖者たちによって最初に始められたとされる、神への献身的な信仰(バクティ)を掲げた宗教改革運動です。カースト制度にとらわれない平等な信仰を求めるその思想は、幅広い民衆の支持を集めました。
ラーマーナンダ ― 北インドでの展開
北インドにおけるバクティ運動の始まりは、ラーマーナンダの功績によるものとされています。プラヤーガ(現アラーハーバード)に生まれた彼は、ヴィシュヌの化身であるラーマへの帰依を広めました。
カビール ― ヒンドゥー・イスラームの融和
詩人カビールは、ヒンドゥー教徒とムスリム(イスラーム教徒)の融和を強く訴えました。彼の言葉は『ビジャク』に収められており、無属性神(ニルグナ)信仰を説くバクティ潮流を代表する詩人として知られています。
グル・ナーナク ― シーク教の礎
グル・ナーナクはナンカーナー・サーヒブ(タルワンディー)に生まれました。彼もまたヒンドゥー・イスラーム両教徒の融和を重視し、後のシーク教の基盤を築いた人物です。
チャイタニヤ ― ベンガルのバクティ運動
ベンガル地方におけるバクティ運動の祖はチャイタニヤです。彼は「キールタン」と呼ばれる讃歌をともなう集団礼拝の実践を生み出し、広めました。
スールダース ― クリシュナ信仰の詩人
スールダースはクリシュナ信仰の伝統に属した詩人です。代表作『スールサーガル』の中で、ラーダーとクリシュナの理想的な愛の姿を描き、多くの人々に親しまれました。
ナルシンハ・メータ
グジャラート出身の聖者ナルシンハ・メータもまた、ラーダー・クリシュナ信仰に関わる人物として知られています。
南インドにおける四つの宗派
南インドでは、シャンカラーチャーリヤの哲学に対抗する形で、ヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ派)の聖者たちによって四つのバクティ宗派が確立されました。
スーフィー運動とは
イスラーム神秘主義であるスーフィズムの実践者たちは、独自の修道組織を形成しました。スーフィーの組織は「シルシラ(教団)」と呼ばれ、スーフィー聖者から教育を受けた弟子は「ムリード」と呼ばれます。
チシュティー教団
チシュティー教団の創設者はフワージャ・ムイーヌッディーン・チシュティーです。彼の廟はアジュメールに位置しています。
バーバー・ファリード
バーバー・ファリードの作品の一部は、シーク教の聖典『グル・グラント・サーヒブ』にも収録されています。
ニザームッディーン・アウリヤー
ハズラト・ニザームッディーン・アウリヤーは、デリー・スルタン朝の支配の時代を生きた聖者です。「デリーはまだ遠い」という有名な言葉は、ギヤースッディーン・トゥグルクに向けられたものとして伝えられています。
サタリー教団
シャイフ・アブドゥッラー・サタリーがサタリー教団(サタリー・シルシラ)を創設しました。その主な中心地はビハールでした。
ロシニー教団とフルードゥーシー教団
ロシニー教団の創設者はワジード・アンサーリーとされています。また、スフラワルディー教団の分派であるフルードゥーシー教団は東インド、特にビハール地方で発展し、重要な聖者としてシャルフッディーン・ヤフヤー・マネリーが挙げられます。
南インドの主な王朝
この時代のインド史において重要な勢力としては、南インドのヴィジャヤナガル王国とバフマニー王国、さらに後のムガル帝国とマラーター帝国が挙げられます。
まとめ
バクティ運動とスーフィー運動は、いずれも形式化された宗教儀礼よりも心からの献身を重んじ、カーストや宗教の垣根を越えて民衆の心をつかみました。ラーマーナンダ、カビール、グル・ナーナク、チャイタニヤといったバクティの聖者たち、そしてムイーヌッディーン・チシュティーやニザームッディーン・アウリヤーらスーフィーの聖者たちの思想は、今日のインド亜大陸の宗教文化に深い影響を残しています。