徴兵法に盛り込まれた「代納条項」
アメリカ南北戦争中、連邦(北軍)側の複数の州では、1863年に制定された徴兵法(Enrollment Act)に基づく徴兵制度が導入されました。この法律には当初「代納条項(commutation clause)」と呼ばれる規定が含まれており、これが北部の男性たちに兵役を回避する道を開くことになりました。
徴兵を免れる2つの方法
代納条項の下では、徴兵対象となった市民は次のいずれかの方法を選ぶことができました。
1つ目は、政府に300ドルを支払うことです。当時の労働者の日給が1〜2ドル程度だったことを考えると、これは平均的な労働者にとって数か月から1年分の収入に相当する、決して軽くない金額でした。
2つ目は、従軍経験を持つ代理人(substitute)を雇い、自分の代わりに出征させることです。この制度を利用して代理人を探す市場が形成され、代理人の報酬は数百ドルから、時には1000ドルを超えるケースもあったとされています。
「金持ちの戦争、貧者の戦い」
こうした仕組みは、富裕層だけが徴兵を免れられる不公平な制度であるとして強い批判を浴びました。「金持ちの戦争、貧者の戦い(a rich man's war, but a poor man's fight)」という言葉が広まり、庶民の不満は急速に高まっていきます。
特に1863年7月のニューヨーク徴兵暴動では、この不満が爆発し、死者が出る大規模な騒乱へと発展しました。暴動の背景には、貧しい労働者階級、とりわけアイルランド系移民の経済的不安や人種的な対立など、複雑な要因がありました。
制度のその後
批判を受けた代納条項は1864年に廃止されましたが、代理人を雇って兵役を代わってもらう慣行そのものは、終戦まで認められ続けたとされています。徴兵をめぐるこの一連の出来事は、戦争の負担が社会のどの層にどのように配分されるべきかという、現代にも通じる問いを投げかけています。