結論から言えば、アル・カポネがアルカトラズ連邦刑務所から直接「釈放」されることはありませんでした。彼は刑期を終えてアルカトラズの門を出たのではなく、健康状態の悪化を理由に他の施設へ移送され、その後に釈放されています。
アルカトラズ収容までの経緯
「脱獄不可能な刑務所」として知られるアルカトラズ島に、カポネが送られたのは1934年8月のことです。それ以前、彼は1931年の脱税罪での有罪判決を受けた後、ジョージア州アトランタの連邦刑務所に収容されていました。しかし、特別待遇を受けられる可能性があるとして、より厳格な管理で知られるアルカトラズへの移送が決定しました。囚人番号85番として登録されたカポネは、かつてシカゴで絶大な権力を誇ったギャングボスとは思えないほど、規律に従う静かな受刑者だったと言われています。
アルカトラズを離れた理由
カポネはアルカトラズで約4年半を過ごしましたが、若い頃から患っていた梅毒による神経障害が進行し、精神面・身体面ともに著しく衰弱していきました。こうした健康上の理由から、1939年1月、彼はアルカトラズを離れ、カリフォルニア州のターミナル・アイランド連邦矯正施設へ移送されました。これは釈放ではなく、あくまで施設間の移動でした。
最終的な釈放までの道のり
ターミナル・アイランドでの治療と収容を経て、カポネはペンシルベニア州ルイスバーグの連邦刑務所にも一時収容されました。そして1939年11月16日、健康状態を考慮して仮釈放が認められ、ようやく自由の身となったのです。この時、彼は50歳になっていませんでしたが、すでに往時の影響力を持つ人物ではありませんでした。
釈放後の晩年
釈放後のカポネはフロリダ州パームアイランドの自宅で隠遁生活を送り、病との闘いを続けました。1947年1月、脳卒中を発症した後に肺炎を併発し、48歳でこの世を去りました。「アルカトラズの最も有名な囚人」と呼ばれた男の最期は、華々しい犯罪王の時代とは対照的な、静かなものでした。