北米の歴史

なぜ一部の北部州には「奴隷制廃止の日」が2つあるのか?その理由をわかりやすく解説

アメリカ合衆国の歴史において、奴隷制の終わりを示す日付はひとつではない、という事実をご存じでしょうか。特に北部の一部の州では、「奴隷制が廃止された日」として2つの日付が存在します。この一見不思議な現象には、建国初期から南北戦争終結までの複雑な歴史的経緯が関係しています。

よくある誤解:1863年1月1日だけが解放の日ではない

多くの人は、エイブラハム・リンカーン大統領が1863年1月1日に発した「奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)」をもって、アメリカの奴隷制が完全に終わったと考えています。しかし実際には、この宣言が適用されたのは、連邦から離脱した南部諸州(反乱状態にあった地域)の奴隷のみでした。北部に残っていた奴隷州や、すでに連邦軍が支配していた地域までは及ばなかったのです。

さらに言えば、奴隷制が全国的・法的に完全に廃止されたのは、1865年12月6日に批准された憲法修正第13条によってでした。つまり「奴隷解放宣言」と「修正第13条」の間には、実に約3年の隔たりがあるのです。

北部州に2つの日付が生まれた背景

1つ目の日付:州独自の段階的廃止法

北部のいくつかの州は、独立戦争前後の時期に、独自の法律で奴隷制の廃止に踏み切っていました。たとえばペンシルベニア州は1780年に段階的奴隷廃止法を制定し、ニューヨーク州も1799年から段階的な解放プロセスを開始しています。これらの州では、州法による廃止日が最初の記念日として定着しました。

2つ目の日付:連邦レベルの解放

一方で、1863年の奴隷解放宣言や1865年の憲法修正第13条といった連邦政府による措置も、歴史の転換点として広く記念されるようになりました。その結果、これらの北部州では「州として奴隷制を廃止した日」と「国として奴隷制が終わった日」の両方が、それぞれ意味を持つ日付として残ることになったのです。

ジューンティーンスとの関連

また、1865年6月19日にテキサス州の奴隷たちに自由が伝えられたことを記念する「ジューンティーンス(Juneteenth)」が2021年に連邦の祝日となったことも、奴隷制終焉をめぐる日付の多様性に注目を集めるきっかけとなりました。解放の瞬間が人々にもたらされた時期は地域によって大きく異なり、それが複数の記念日の存在につながっています。

まとめ

一部の北部州に奴隷制廃止の日付が2つあるのは、州単位での先行的な廃止と連邦レベルでの正式な廃止という、二つの異なる歴史的節目がそれぞれ記念されてきたためです。奴隷解放宣言(1863年1月1日)は重要な転換点ではあるものの、それだけがすべてではなく、州法・連邦法・現地への通知の時期など、複数の層が重なり合ってアメリカの奴隷制廃止の歴史は形作られました。この複雑さこそが、今日まで語り継がれる多様な記念日の由来なのです。