奴隷制度の廃止は南北戦争の「結果」であり「原因」ではなかった
奴隷制度の廃止は、南北戦争の直接的な引き金となったわけではありません。戦争の根本的な原因は、奴隷制をめぐる北部諸州と南部諸州の間で長年続いてきた対立にありました。南部諸州は農業経済の基盤として奴隷労働力に強く依存していた一方、北部諸州では道徳的・経済的な観点から奴隷制への反対意見が次第に強まっていきました。こうして深まった南北間の亀裂こそが戦争へと至った背景であり、奴隷制度の廃止は南北戦争がもたらした結果の一つだったのです。
アメリカにおける奴隷制廃止までの長い道のり
アメリカ合衆国における奴隷制度の廃止は、17世紀にその萌芽が現れ、1865年の合衆国憲法修正第13条の成立によって実現した、長く複雑な歴史的プロセスでした。奴隷制廃止運動(アボリショニズム)は、アメリカ国内での奴隷制の即時かつ無条件の終結を掲げた社会政治運動であり、アフリカ系アメリカ人の活動家、白人の廃止論者、宗教指導者など、多様な背景を持つ人々によって推進されました。
1830〜40年代に勢いを増した廃止運動
奴隷制が国内最大の対立軸となるにつれ、廃止運動は1830年代から1840年代にかけて大きな勢いを獲得しました。活動家たちは公開講演会、パンフレットの配布、議会への請願など、さまざまな手段を駆使して奴隷制の悪弊に対する世論の啓発に努めました。さらに、南部から逃亡してきた奴隷たちを支援・保護する活動にも取り組みました。
南北戦争の勃発と奴隷解放宣言
1861年、南部諸州が連邦からの脱退を決め、アメリカ連合国を樹立したことにより、南北戦争が勃発しました。北部(連邦政府)は1862年、「連邦の維持」と「奴隷の解放」を公式な戦争目的として掲げます。そして1863年、エイブラハム・リンカーン大統領が発した「奴隷解放宣言」により、南部連合支配下の諸州にいた奴隷たちが自由の身となりました。
戦争は1865年、南部連合の敗北によって幕を閉じました。奴隷制度の廃止は、南北戦争が残した最も重要な成果の一つとして、アメリカ史に大きく刻まれることになったのです。