はじめに
1820年のミズーリ妥協と1850年の妥協は、いずれもアメリカ史における画期的な合意であり、新しい州の連邦加盟と奴隷制をめぐる問題に対処するために結ばれました。ここでは、それぞれの妥協が新州の加盟にどのように対応したのかを詳しく解説します。
ミズーリ妥協(1820年)
ミズーリを奴隷州として、メインを自由州として加盟させた:これにより、上院における自由州と奴ける自由州と奴隷州の勢力均衡が維持されました。
北緯36度30分線を今後の州加盟の境界線として設定した:この線より北の地域から誕生する州は自由州となり、南の地域から誕生する州は奴隷州となることが定められました。
1850年の妥協
カリフォルニアを自由州として連邦に加盟させた:これにより、それまで保たれていた自由州と奴隷州の微妙な均衡が崩れることになりました。
ニューメキシコ準州とユタ準州に人民主権制を導入した:これらの準州では、住民が住民投票によって奴隷制の可否を自ら決定できることになりました。
テキサスとニューメキシコ間の境界紛争を解決した:テキサスは土地を譲渡する代わりに、その負債の返済を連邦政府が引き受ける形で合意しました。
1850年逃亡奴隷法を成立させた:1793年の逃亡奴隷法の執行を強化し、自由州の市民や役人にも逃亡奴隷の捕縛と送還への協力を義務付けました。この規定は大きな論争を巻き起こし、北部と南部の対立を深める一因となりました。
まとめ
両妥協は一時的に南北の緊張を和らげましたが、奴隷制という根本的な問題を解決することはできませんでした。特に1850年の妥協に含まれた逃亡奴隷法は北部で強い反発を受け、やがて南北戦争へと至る道筋を作る結果となりました。