結論から言うと、ネイティブアメリカンがジョン・カボット(John Cabot)をどのように扱ったかについての記録は一切存在しません。その理由は、カボットが北米大陸の本土に到達できなかったためです。
カボットの航海と「記録がない」理由
イタリア出身の探検家ジョン・カボット(本名ジョヴァンニ・カボート)は、1497年にイングランド国王ヘンリー7世の支援を受けて大西洋を横断し、現在のカナダ東部沖、おそらくニューファンドランド島付近に到達したと考えられています。
しかし、この航海で彼が上陸したのは島嶼部や沿岸地域にとどまり、北米大陸の内部へ足を踏み入れることはありませんでした。また、航海日誌や同乗者の証言など、先住民との接触を示す一次資料も残されていません。そのため、「ネイティブアメリカンがカボットをどう扱ったのか」という問いに対しては、そもそも接触の記録自体がないというのが歴史学上の答えとなります。
クリストファー・コロンブスとの対比
同じく1492年に新世界へ到達したクリストファー・コロンブスは、カリブ海地域でタイノ人などの先住民と実際に交流し、その様子を詳細に記録しています。一方、カボットの場合は上陸地点での具体的な出来事がほとんど伝わっておらず、伝えられているのは豊かな漁場(タラの群れ)の発見や、イングランドによる領有宣言といった内容にとどまります。
第二回航海の謎
カボットは1498年に再び西航しましたが、この第二回航海の途中で船隊は消息を絶ち、彼自身も二度と帰還しませんでした。一部の史料では先住民との紛争があった可能性が示唆されることもありますが、確たる証拠はなく、最期の詳しい経緯は今なお謎に包まれています。
まとめ
ネイティブアメリカンとジョン・カボットの間に直接的な交流があったかどうかを示す記録は存在せず、彼が北米大陸本土に到達しなかったことが最大の理由です。カボットの航海はイングランドによる北米進出の出発点として重要ですが、先住民との関係については歴史に明確な痕跡を残していないのです。