南北戦争と境界州(ボーダー・ステーツ)
アメリカ南北戦争(1861年〜1865年)では、南部の奴隷州が次々と連邦(ユニオン)から脱退し、アメリカ連合国(コンフェデラシー)を結成しました。その際、脱退州と自由州の両方に接していた州は「境界州」と呼ばれ、その去就が戦争の行方を大きく左右する重要な存在となりました。
脱退州と国境を接していた奴隷州
脱退した南部諸州と隣接し、かつ奴隷制が認められていた州は以下の5州です。
- バージニア州
- ケンタッキー州
- ミズーリ州
- メリーランド州
- デラウェア州
このうち、実際に連邦から脱退したのはバージニア州です。バージニア州は1861年4月に脱退を決断し、アメリカ連合国に加わりました。ただし、同州北西部の諸郡は脱退に反対して分離し、1863年にウェストバージニア州として新たに連邦へ加盟しています。
一方、ケンタッキー州・ミズーリ州・メリーランド州・デラウェア州は、奴隷州でありながら連邦側に留まりました。特にメリーランド州は首都ワシントンD.C.を取り囲む要衝であり、ケンタッキー州やミズーリ州でも激しい親南派と親北派の攻防が繰り広げられました。
脱退州と国境を接していた自由州
脱退州と隣接していた北部の自由州は以下の4州です。
- ペンシルベニア州
- オハイオ州
- インディアナ州
- イリノイ州
これらの州はケンタッキー州やバージニア州といった奴隷州のすぐ北に位置する工業地帯で、連邦軍にとって重要な兵員・物資の供給拠点となりました。また、地下鉄道(アンダーグラウンド・レイルロード)の終着点としても機能し、自由を求める逃亡奴隷たちを受け入れてきました。
まとめ
境界州は南北両勢力の緩衝地帯として、戦略的にも政治的にも極めて重要な意味を持っていました。奴隷州でありながら連邦に残ったケンタッキー・ミズーリ・メリーランド・デラウェアの4州に対し、脱退を選んだのがバージニア州です。さらに、奴隷州に接しながら北部に留まった自由州4州の存在も含めて、これらの州の配置を理解することは、南北戦争全体の構図をつかむ鍵となります。