アンティータムの戦いと奴隷解放の転換点
1862年9月17日に勃発したアンティータムの戦い(シャープスバーグの戦い)は、南北戦争史上最も犠牲者の多かった一日として知られています。この戦いで北軍が南軍の北部侵攻を食い止めたことが契機となり、リンカーン大統領は奴隷制問題へ本格的に踏み込む重大な決断を下すことになりました。
まず発表されたのは「予備的解放宣言」
よく誤解されますが、リンカーンはアンティータムの戦いの直後に「すべての奴隷を即座に解放する」という計画を発表したわけではありません。正確には、戦いからわずか5日後の1862年9月22日、予備的解放宣言(Preliminary Emancipation Proclamation)を発布しました。これは、反乱状態にある南部諸州が1863年1月1日までに合衆国への復帰を拒んだ場合、当該地域の奴隷を自由とすると通告する、事実上の最後通牒でした。
正式な奴隷解放宣言は1863年1月1日
南部諸州がこの要求に応じなかったため、リンカーンは予定通り1863年1月1日に正式な奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)を発布しました。ただし重要なのは、この宣言の適用対象が「南軍の支配下にある地域の奴隷」に限られていた点です。北軍の支配下にあった境界諸州(メリーランド、ケンタッキー、ミズーリなど)や連邦軍が占領した地域の奴隷は含まれておらず、米国内のすべての奴隷を解放したわけではありません。
憲法修正第13条による奴隷制の完全廃止
奴隷解放宣言は戦時中の大統領の戦争権限に基づく措置であり、恒久的な法的効力を持つものではありませんでした。奴隷制を完全に廃止するには憲法改正が不可欠であり、その流れの末に成立したのが憲法修正第13条です。同条項は1865年12月に批准され、ここでようやく米国全土において奴隷制が公式に違法とされました。
まとめ
つまり、アンティータムの戦い直後にリンカーンが発表したのは、全奴隷の即時解放ではなく、期限付きの「予備的解放宣言」でした。正式な奴隷解放宣言は約3ヶ月半後の1863年1月1日に発布され、奴隷制の完全な廃止はさらにその先、1865年12月の憲法修正第13条の批准によって実現したのです。