北米の歴史

ポール・リビアはジョン・アダムズに警告したのか?「真夜中の騎行」の歴史的真実

「ポール・リビアがジョン・アダムズに警告したのは何年か?」という疑問には、実は重大な誤解が含まれています。歴史的事実として、ポール・リビアがジョン・アダムズに直接警告を伝えた記録は存在しないのです。

リビアが実際に警告した人物とは

ポール・リビアが歴史に名を残すことになったのは、1775年4月18日の夜に行われた有名な「真夜中の騎行(ミッドナイト・ライド)」です。この夜、彼はイギリス軍による襲撃計画を知らせるため、サミュエル・アダムズとジョン・ハンコックの二人に危険を警告しました。当時、両名はマサチューセッツのレキシントンに滞在していました。

騎行の背景にあったもの

イギリス軍は、レキシントンとコンコードに保管されていた植民地民兵の武器や弾薬を押収し、反乱の指導者たちを逮捕するために進軍しようとしていました。リビアはチャールズタウンから馬で疾走し、この作戦の接近を植民地側に伝えるという重要な役割を担ったのです。

なぜジョン・アダムズではないのか

後のアメリカ合衆国第2代大統領となるジョン・アダムズは、独立戦争前夜のこの時期、フィラデルフィアで開催されていた大陸会議に参加しており、リビアの警告を受ける立場にはありませんでした。そのため、「リビアがジョン・アダムズに警告した」という話は史実ではないのです。

まとめ

ポール・リビアの警告の相手はジョン・アダムズではなく、サミュエル・アダムズとジョン・ハンコックでした。この1775年4月18日夜の騎行は、翌日のレキシントン・コンコードの戦い、すなわちアメリカ独立戦争の発端へとつながっていくことになります。