北米の歴史

アメリカ先住民のどの部族が南部連合と条約を締結したのか?

南北戦争(1861〜1865年)では、実に多くのアメリカ先住民族が南部連合(アメリカ連合国)と正式な条約を結んでいます。特に有名なのが、当時インディアン準州(現在のオクラホマ州)に暮らしていた「五大文明部族」と呼ばれる五つの民族です。以下、それぞれの経緯を見ていきましょう。

五大文明部族と南部連合の条約

クリーク(ムスコギー)民族

1861年7月10日、クリーク民族は南部連合との友好・同盟条約に調印しました。ただし部族内の意見は大きく割れ、オポスル・ヨホラ酋長率いる連邦支持派と南部支持派が武力衝突する内紛状態に陥りました。

チョクトー族とチカソー族

1861年7月12日、チョクトー族とチカソー族は共同で南部連合との条約に署名しました。両民族は綿花経済などを通じて南部諸州と密接な関係を持ち、奴隷制をめぐる利害も共有していたため、南部寄りの立場を取る傾向が強かったといわれています。

セミノール族

セミノール族も1861年8月1日に南部連合との同盟条約に調印しています。ただしこちらも部族内で賛否が分かれ、一部の戦士たちは連邦側について戦いました。

チェロキー族

チェロキー族では、1861年10月7日にスタンド・ワティ率いる親南派が南部連合との条約に署名。翌年には首席酋長ジョン・ロスも一時的に南部側につきましたが、1862年に連邦へと転じます。一方、スタンド・ワティは南部連合軍の准将まで昇進し、「南北戦争最後の降伏将校」として歴史に名を残すことになりました。

五大文明部族以外の条約相手

五大文明部族にとどまらず、オセージ族、センカ族、ショーニー族、クァポー族、コマンチュ族なども、南部連合と何らかの条約や協定を交わしています。これら一連の外交を主導したのが、南部連合の特使アルバート・パイクです。彼は1861年にインディアン準州へ赴き、各民族との条約締結に尽力しました。

同盟がもたらしたもの

皮肉なことに、どちらの陣営を選んでも先住民族の運命は好転しませんでした。南部連合の敗北後、各民族は合衆国政府との間で新たな「再建条約(1866年条約)」の締結を迫られます。その結果、彼らは広大な土地を失い、インディアン準州は縮小されたうえで、やがて白人入植者に開放されることになりました。南北戦争期の先住民族の歴史は、大国の争いに巻き込まれた彼らの苦難と、主権と土地を守ろうとした必死の外交努力を物語っています。