はじめに:日付の「ずれ」について
まず押さえておきたいのが、このテーマでよく見られる混乱点です。「オーストラリアは12月8日に宣戦布告していない」という記述を目にすることがありますが、これは時差による表記の違いが原因です。
日本軍による真珠湾攻撃は、ハワイ現地時間では1941年12月7日(日曜日)の朝に行われました。しかし、ハワイとオーストラリアの時差を考慮すると、オーストラリアではすでに12月8日になっていました。そのため、オーストラリアの歴史においては、対日宣戦布告は「12月8日」に行われたことになります。
開戦の引き金:真珠湾攻撃とマレー半島侵攻
1941年12月上旬、日本は南方作戦を発動しました。ハワイの真珠湾でアメリカ太平洋艦隊を奇襲すると同時に、イギリス領マレー半島のコタバルなどへの上陸作戦を開始したのです。実は、マレー半島への上陸は真珠湾攻撃のわずかに前から始まっており、ここにイギリスとの戦争が現実のものとなりました。
この一連の攻撃を受け、12月8日にはアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、オランダなどの国々が相次いで日本に対する宣戦布告を行い、太平洋戦争が正式に幕を開けました。
オーストラリアにとっての意味
当時のオーストラリアはイギリス連邦の一員であり、宗主国イギリスが戦争状態に入れば共に戦うという関係にありました。しかし、この時期のオーストラリアはすでに外交・国防面での自主性を強めており、カーティン労働党政権は自らの判断で対日宣戦布告を表明しています。
さらに重要なのは、日本軍のマレー半島侵攻がオーストラリアにとって直接的な脅威だった点です。シンガポールは「東洋のジブラルタル」と呼ばれ、オーストラリア防衛戦略の要でした。実際、翌1942年2月にシンガポールが陥落すると多数のオーストラリア兵が捕虜となり、同年2月19日には北部のダーウィンが日本軍の空襲を受けるなど、戦争はオーストラリア自身の身近な問題となっていきました。
まとめ
オーストラリアが1941年12月8日に日本へ宣戦布告したのは、真珠湾攻撃とマレー半島侵攻という日本の奇襲・侵略行為への対応でした。ハワイでの攻撃が12月7日とされるのは現地時間によるもので、オーストラリアではすでに8日だったためです。イギリス連邦の一員としての結束と、自国の安全保障を守るという二つの理由から、オーストラリアは即座に参戦を決断したのです。