オセアニアの歴史

バーモント州はイギリスの植民地だった?「中部植民地」説の誤解と真実の歴史

バーモント州は、厳密に言えばイギリスの植民地として始まった地域ではありません。その歴史は、フランスによる北米植民地化から始まります。

フランス領「ヌーベルフランス」の時代

17世紀、現在のバーモント州にあたる地域は、フランスが北米に築いた広大な植民地「ヌーベルフランス(ニュー・フランス)」の一部として主張されていました。当時、この土地は主に先住民アベナキ族などの活動域であり、ヨーロッパ人による本格的な入植は限定的でした。

イギリス領ニューハンプシャーへの編入

1754年から1763年にかけて行われたフレンチ・インディアン戦争(七年戦争の北米戦線)でイギリスがフランスに勝利すると、1763年のパリ条約によりこの地域はイギリスの支配下に入りました。その後、バーモント地域は隣接するイギリス植民地ニューハンプシャーの一部として扱われるようになりました。

「中部植民地」ではない――ニューイングランドの一員

よくある誤解ですが、バーモント州はいわゆる「中部植民地(Middle Colonies)」には含まれません。中部植民地とは、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェアの各植民地を指します。地理的にも文化的にも、バーモントはニューイングランド地方に属する州です。

独立国家「バーモント共和国」と合衆国加盟

興味深いことに、バーモントは1777年から1791年までの間、「バーモント共和国」として実質的に独立した存在でした。アメリカ独立戦争後、ニューヨーク州との領土紛争などを経て、1791年にバーモントは合衆国憲法を批准し、建国当初の13州に続く14番目の州として連邦に加盟しました。

まとめ

  • 元々はフランス領「ヌーベルフランス」の一部だった
  • フレンチ・インディアン戦争後にイギリス領ニューハンプシャーへ編入
  • 中部植民地ではなく、ニューイングランド地方に属する
  • 一時期「バーモント共和国」として独立していた
  • 1791年に14番目の州として合衆国に加盟