植民地時代の漁師が、大勢の乗組員を抱えていたというのは、実は誤解であることが多いのです。当時の漁業は、現代のような大規模な産業ではなく、ごく小規模な家族経営が中心でした。
家族で支える小規模な漁業
植民地時代の漁業は、いわば「家族企業」のような形で営まれていました。漁師本人に加えて、妻や子どもたちが網の修理や魚の加工・販売などを手伝うのが一般的でした。船に乗るのは漁師一人、あるいはせいぜい数人程度というケースがほとんどだったのです。
雇い人の数はごくわずか
船の規模にもよりますが、やや大きな船を持つ漁師の場合でも、雇えるのは1〜2人の手伝い程度でした。彼らは季節労働者や近隣の住民であることが多く、恒久的な大所帯の乗組員ではありませんでした。
大型漁船が登場するのは19世紀以降
大勢の乗組員を乗せた大型漁船が一般的になるのは、19世紀に入ってからです。漁業技術の進歩や市場の拡大に伴い、遠洋漁業や商業漁業が発展し、初めて本格的なクルーを必要とする漁業スタイルが登場しました。
つまり、植民地時代の漁師の姿といえば、家族とともに小さな舟で海に出る、質素ながらも自給自足に近い生活を送る人々だったといえるでしょう。