結論から言えば、第二次世界大戦においてオーストラリアが征服されることはありませんでした。日本軍はオーストラリア本土への空襲を実施しましたが、本格的な侵略(上陸による占領)を試みることは最後までありませんでした。
日本軍によるオーストラリア空襲
ダーウィン空襲(1942年2月19日)
1942年2月19日、日本海軍の空母艦載機と基地航空隊が、ノーザンテリトリーのダーウィンを大規模に攻撃しました。この空襲は「真珠湾攻撃に匹敵する規模」とも評され、約240名が死亡し、港湾施設や停泊中の船舶、町に深刻な被害をもたらしました。その後もダーウィンは終戦までに数十回にわたって空襲を受けています。
ブルーム空襲(1942年3月3日)
西オーストラリア州の真珠採取で知られる町ブルームも、1942年3月3日に日本軍の空襲を受けました。オランダ籍の飛行艇などが破壊され、避難民を含む多くの犠牲者が出ました。
なぜ侵略は実行されなかったのか
日本軍内部では一時的にオーストラリア北部への進攻案が検討されましたが、以下の理由により実現しませんでした。
- 兵力と補給の限界:広大なオーストラリア大陸を占領・統治するには、当時の日本軍の陸軍戦力は明らかに不足しており、補給線の延伸も大きな懸念材料でした。
- 珊瑚海海戦(1942年5月):ポートモレスビー攻略を目指した日本海軍は、米豪連合軍によって阻止されました。これによりオーストラリアへの脅威は大きく後退しました。
- ココダ・トラックの戦い(1942年):ニューギニア島経由でオーストラリアを脅かそうとした日本軍の攻勢も、オーストラリア軍を中心とする連合軍に撃退されました。
オーストラリアの戦争における役割
オーストラリアは連合国の一員として、北アフリカ戦線や太平洋戦線で積極的に戦いました。また、1942年以降はダグラス・マッカーサー元帥率いる連合国軍の重要な拠点となり、南西太平洋方面における反攻作戦の司令部が置かれました。
まとめ
オーストラリアは第二次世界大戦中、ダーウィンやブルームなどへの空襲という直接的な攻撃を受けましたが、国土が占領されることはありませんでした。珊瑚海海戦やココダ・トラックの戦いなどの防衛努力と、日本側の戦力・補給上の制約が重なり、侵略は実行に移されなかったのです。