南アメリカの歴史

エウリコ・ガスパール・ドゥトラ:ブラジル第14代大統領の生涯と政治

エウリコ・ガスパール・ドゥトラ(Eurico Gaspar Dutra)は、ブラジルの第14代大統領です。1946年から1951年まで国を統治しました。彼が大統領に就任するきっかけとなったのは、軍事クーデターによってジェトゥリオ・ヴァルガス大統領が失脚した出来事でした。

その政権は、共産主義者への弾圧、賭博の禁止、そしてアメリカ合衆国との関係強化を特徴としていました。

エウリコ・ガスパール・ドゥトラ:ブラジル第14代大統領の生涯と政治エウリコ・ガスパール・ドゥトラ、ブラジル第14代大統領

ドゥトラ政権の特徴

1946年憲法の制定

国内政策において、ドゥトラ政権の最大の功績の一つは新憲法の公布です。この1946年憲法は、ジェトゥリオ・ヴァルガスが1937年に定めた「 Estado Novo(新国家)体制」の憲法に取って代わるものでした。新憲法は個人の自由と権利を保障し、死刑制度を廃止しました。

共産党への弾圧

一方で、ドゥトラは保守的な路線を強め、ブラジル共産党の活動を禁止して非合法化しました。冷戦の始まりとともに、左翼勢力への締め付けは一層厳しくなりました。

経済政策

経済面では、賃金抑制策の実施、幹線道路網の建設、外貨準備の大量放出といった特徴がありました。また、保健・食料・労働・エネルギーの各分野で改善を目指す「SALTE計画」を打ち出しましたが、資金調達に失敗し、実現には至りませんでした。

外交政策

国際関係においては、アメリカ合衆国が外交政策の中核を担いました。対米輸出の拡大や文化交流の促進が進められ、ブラジルは米国との協力関係を深めていきました。

1951年、ドゥトラは大統領職を退きました。彼が支持した候補者のクリスチアーノ・マシャードは選挙で敗れ、元大統領のジェトゥリオ・ヴァルガスが返り咲きを果たしました。

生涯と経歴

エウリコ・ガスパール・ドゥトラは1883年5月18日、マットグロッソ州の州都クイアバで生まれました。

1904年、リオデジャネイロのプラヤ・ヴェルメーリャ陸軍士官学校に入学します。1920年代には、リオデジャネイロでのコパカバーナ要塞反乱(1922年)やサンパウロでの武装蜂起(1924年)など、「テニェンチズモ(尉官運動)」と呼ばれる若手将校たちの反乱鎮圧に従事しました。

1932年以降、連邦政府に対抗した立憲主義運動(サンパウロ州の反乱)を鎮圧した功績により、ヴァルガス大統領に接近します。さらに1935年には、共産主義者の武装蜂起(「共産主義の企て」)の鎮圧にも重要な役割を果たしました。

1936年、ドゥトラは正式にヴァルガス政権入りし、陸軍大臣に就任します。

第二次世界大戦中、彼は当初ブラジルが枢軸国側に参戦することを擁護していました。しかしその立場にもかかわらず、将軍としてイタリア戦線に派遣されるブラジル遠征軍(FEB)の編成を担当しました。

戦争終結後、ヴァルガス政権への支持が低下すると、野党勢力はドゥトラを大統領候補に擁立しました。ヴァルガスは軍事クーデターによって失脚し、これがドゥトラの当選を確実なものにしました。

政界引退後も、ドゥトラは軍部内で影響力を保ち続けました。軍事政権時代には与党ARENA(全国革新同盟)の一員でもありました。

1974年6月11日、リオデジャネイロで死去しました。享年90歳でした。

関連記事

  • ヴァルガス時代
  • 第二次世界大戦におけるブラジル
  • 第二次世界大戦の影響
  • 死刑制度