ドレッド・スコット判決と南部諸州の脱退
アメリカ南部諸州が連邦からの脱退(離脱)を決定する前に起こった重大な出来事こそ、1857年の「ドレッド・スコット判決」です。この合衆国最高裁判所の判決は、南北戦争へと至る地域間の緊張を一気に高める引き金となりました。
ドレッド・スコット判決とは
ドレッド・スコット判決は、1857年3月6日にアメリカ合衆国最高裁判所によって下された歴史的な判決です。元奴隷の黒人男性ドレッド・スコットが、自由州での居住を根拠に自由民としての地位を求めて提訴した事件に対し、最高裁判所は次のように判断しました。
- アフリカ系の人々は合衆国市民ではなく、連邦裁判所で訴えを起こす権利を持たない
- 奴隷は財産であり、議会は準州において奴隷制を禁止する権限を持たない
判決がもたらした影響
この判決は奴隷制反対派に大きな衝撃を与え、北部と南部の対立をさらに深刻化させました。奴隷制の拡大をめぐる論争は激化し、1860年の大統領選挙では奴隷制拡大に反対するエイブラハム・リンカーンが当選します。これが南部諸州にとって脱退の直接的な契機となりました。
最初に脱退したのはサウスカロライナ州
リンカーンの当選を受けて、南部諸州は連邦からの脱退へと動き出しました。最初に脱退を宣言したのはサウスカロライナ州で、その日付は1860年12月20日です。その後、ミシシッピ州やフロリダ州、アラバマ州など他の南部諸州も相次いで脱退し、最終的にアメリカ連合国(南部連合)が結成されることになりました。
まとめ
つまり、南部諸州の脱退に先立って起こったのは、1857年3月6日のドレッド・スコット判決です。この判決から約3年半後の1860年12月20日、サウスカロライナ州が最初の脱退を決定しました。ドレッド・スコット判決は奴隷制をめぐる国家の分裂を加速させ、南北戦争への道を開く重要な転換点となったのです。