はい、第二次世界大戦中、数万人規模のアフリカ系アメリカ人が太平洋戦線に従軍しました。当時の米軍は公式に人種隔離(セグリゲーション)制度を採っており、黒人兵士は独立した部隊に配属され、昇進や栄誉の面でも差別を受けていました。それでも彼らは各地で勇敢に戦い、連合国の勝利に大きく貢献しました。ここでは、太平洋戦線で活躍した代表的な部隊や人物を紹介します。
モントフォードポイント海兵隊員
1942年、それまで「白人だけ」の軍種だった米海兵隊に、初めてアフリカ系アメリカ人の入隊が認められました。ノースカロライナ州のモントフォードポイント・キャンプで訓練を受けた約2万人の黒人海兵隊員は「モントフォードポイント・マリーンズ」と呼ばれます。彼らはサイパン、ペリリュー、硫黄島、沖縄など太平洋の激戦地に展開し、前線での弾薬・物資運搬や対空砲火の下での補給支援など、極めて危険な任務を果たしました。その功績は2012年に議会黄金勲章として顕彰されています。
第93歩兵師団
アフリカ系アメリカ人によって編成された第93歩兵師団は、太平洋戦線に投入された唯一の黒人歩兵師団です。1944年以降、ブーゲンビル島やガダルカナル島など南太平洋での警備・掃討作戦に参加し、日本軍との実戦を経験しました。
海軍の先駆者たち――ドリス・ミラー
開戦当初、海軍では黒人は料理人や従卒といった限られた職務しか許されていませんでした。しかし1941年の真珠湾攻撃では、従卒だったドリス・ミラーが艦上で機銃を採って敵機に応戦し、その勇気は全米に伝えられました。彼は黒人として初めて海軍十字章を受章し、後年にはその名を冠した航空母艦も就役しています。
シービー(海軍建設工兵)
アフリカ系アメリカ人からなる複数のシービー大隊が、太平洋の島々で飛行場や港湾、基地の建設に従事しました。しばしば砲火の下での作業を強いられ、前線を支える不可欠な存在となりました。
欧州戦線で名を馳せた部隊との比較
なお、よく知られる「タスキーギ・エアメン」(第332戦闘機群)や第92歩兵師団「バッファロー・ソルジャーズ」は、主に欧州戦線で戦った部隊です。タスキーギ・エアメンは15,000回以上の出撃を行い、爆撃機護衛任務で優れた成績を収めました。つまり、アフリカ系アメリカ人の貢献は欧州・太平洋の両戦域に及んでいたのです。
差別を乗り越えて残した遺産
太平洋戦線での彼らの献身は、軍内の人種隔離が時代遅れであることを広く認識させました。こうした実績は、1948年のトルーマン大統領による軍隊人種統合命令(大統領令9981号)、さらには後の公民権運動へとつながる重要な一歩となりました。困難の中にあっても勇気と誇りを持って戦った彼らの足跡は、今日の米軍とアメリカ社会における平等の礎となっています。