南アメリカの歴史

1920年代のアメリカ移民制限とは?割当法から排日の流れまで徹底解説

1920年代のアメリカにおける移民制限の背景

1920年代のアメリカ合衆国では、一連の移民制限措置が相次いで導入されました。その背景には、国民の人種的・民族的な均質性を維持したいという思惑と、移民労働者との競争から自国の労働者を守りたいという意向が大きく影響していました。

それまで比較的自由だった移民の受け入れは、この時期を境に大きく転換し、以後数十年にわたる「移民制限の時代」が幕を開けることになります。

この時代に制定された主な移民制限法制

1921年緊急移民割当法(Emergency Quota Act)

この法律は、各国出身者ごとに年間の移民受け入れ枠(クォータ)を設けた最初の本格的な制限立法です。当初は1910年の国勢調査に基づき、各国出身者の既存人口のおよそ3%までに移民数を制限しました。その結果、南欧・東欧諸国(イタリア、ポーランド、ロシアなど)からの移民は大幅に絞り込まれ、北欧・西欧諸国からの移民が優遇される構図が生まれました。

1924年移民法(ジョンソン=リード法)

1924年に成立した移民法は、国籍別割当制度を恒久的なものとし、さらに制限を強化しました。主な内容は以下の通りです。

  • 割当基準を1890年の国勢調査に基づく2%へ引き下げ、南欧・東欧系の比率をさらに圧縮
  • 「市民権取得資格のない外国人」とされたアジア系移民の入国を事実上禁止(日本からの移民を排除したことから「排日移民法」とも呼ばれる)
  • 海外領事館でのビザ発給を義務付ける制度の導入

なお、識字テスト(リテラシー・テスト)による選別は、この法律より前の1917年移民法ですでに導入されており、1920年代を通じて移民の質的な選別が進められました。

帰化(市民権取得)への制限

この時期には、移民がアメリカの帰化市民になることを難しくする動きも強まりました。特にアジア系移民は帰化の道を法的に閉ざされ、長年にわたり二等市民的な扱いを受けることになりました。

移民制限がもたらした影響

これらの移民制限は数十年にわたって維持され、アメリカ合衆国の人種的・民族的構成を形作る上で決定的な役割を果たしました。南欧・東欧およびアジアからの移住者が激減する一方、メキシコなど西半球諸国からの移住は割当の対象外となったため、むしろ増加していきました。

こうした国籍別割当制度が撤廃されるのは、1965年の移民国籍法(ハート=セラー法)成立まで待たなければなりませんでした。