南アメリカの歴史

サム・ヒューストンは本当に1832年にチェロキー族の家族を捨てたのか?——その真実

質問の前提には誤りがある

「サム・ヒューストンはなぜ1832年にチェロキー族の家族を捨ててテキサスへ向かったのか?」——この問いに対する答えは、ノーです。実は、ヒューストンが1832年にチェロキー族の家族を捨てたという事実は存在しません。

彼は1829年に旅立った後、二度と元の生活へ戻ることはなかったのです。つまり、彼の人生における決定的な別れは1832年ではなく、それより早い1829年にすでに訪れていました。

1829年——テネシーを去った男

1829年、当時テネシー州知事だったサム・ヒューストンは、私生活上のスキャンダルを背景に、州知事の職を突如辞任しました。政治生命を絶たれた形となった彼は、故郷テネシーを後にして西へ向かいます。

この時の別れこそが、彼にとっての「永遠の旅立ち」でした。以降、ヒューストンがかつての生活に戻ることは二度とありませんでした。

チェロキー族の一員として

ヒューストンはインディアン準州(現在のオクラホマ州)に暮らすチェロキー族のもとへ移り住み、首長ジョン・ジョリー(オルーテカ)の養子として迎えられました。彼には「コロンネ(渡り烏)」というチェロキーの名が与えられ、やがてチェロキー女性ティアナ・ロジャーズと結婚し、部族の一員としての新しい生活を築いていきました。

1832年——テキサスへの旅立ち

1832年、ヒューストンはアンドリュー・ジャクソン大統領の使者としてテキサスへ赴きます。この旅が、彼の人生における新たな章の始まりとなりました。テキサスで彼はやがて独立運動の指導者となり、サンジャシントの戦いでの勝利やテキサス共和国大統領への就任など、歴史に名を刻む活躍を遂げることになります。

まとめ

サム・ヒューストンが「1832年にチェロキー族の家族を捨てた」というのは正確な表現ではありません。彼の人生の分岐点は1829年にあり、そこで一度旅立てば、二度と振り返ることはなかったのです。1832年のテキサス行きは、すでに別の道を歩み始めていた男の、次なる一歩にすぎませんでした。