南アメリカの歴史

植民地時代のサウスカロライナは王室直轄植民地だったのか?その歴史と統治体制を解説

はい、植民地時代のサウスカロライナは王室直轄植民地(ロイヤルコロニー)でした。ただしその歴史は単純ではなく、当初は領主植民地として始まり、後にイギリス王による直接統治へと移行しました。

サウスカロライナ植民地の成立

1663年、イングランド王チャールズ2世は、8人の貴族(ロード・プロプリエターズ、領主たち)に対してカロライナ地方を与える勅許状を発布しました。この勅許に基づき、1670年に現在のサウスカロライナ州チャールストン付近へ入植者が渡り、最初の恒久的な町「チャールズタウン」が建設されました。

王室直轄植民地への移行

領主たちによる統治は必ずしも安定せず、1715年に始まったヤマシー戦争をはじめとする先住民族との紛争への対応の遅れなどが、入植者たちの不満を募らせていきました。1719年、入植者たちは領主政府に反旗を翻し、王の直接統治を求めます。これによりサウスカロライナは実質的に王室直轄植民地となり、1721年には王が任命した総督が着任しました。さらに1729年には領主たちの持分が正式に王室へ買い取られ、ノースカロライナとの分離も確定しました。

王室直轄植民地としての統治体制

王室直轄植民地となった後のサウスカロライナは、次のような体制で統治されていました。

  • 総督:イギリス王によって任命され、植民地における王の代理人として行政の最高責任者を務めました。
  • 参事会(カウンシル):総督を補佐する諮問機関であり、メンバーは王または総督によって任命されました。上院に相当する役割も担いました。
  • 植民地議会:入植者によって選出された議会が存在し、税制や法律の決定にある程度関与できました。
  • イングランド法:イングランドの法律が植民地でも施行され、貿易は航海法などイギリス本国の規制の下に置かれました。

まとめ

サウスカロライナは1670年の創設当初こそ領主植民地でしたが、1719年以降はイギリス王が総督や高官を任命し、直接統治を行う王室直轄植民地として機能していました。この体制は、1776年のアメリカ独立宣言まで約半世紀にわたって続くことになります。