アーロン・コープランド(Aaron Copland)が主に住んでいたのは、アメリカ合衆国です。「アメリカ音楽の父」とも称される20世紀を代表する作曲家である彼は、その人生のほとんどを祖国アメリカで過ごしました。
ブルックリンに生まれる
コープランドは1900年11月14日、ニューヨーク市ブルックリン区で、ロシア系ユダヤ人移民の家庭に生まれました。5人きょうだいの末っ子として育ち、姉の影響でピアノを学び始めたことが音楽への道の入り口となりました。
1920年代には一時フランスへ渡り、パリで名教師ナディア・ブーランジェに作曲を師事しましたが、卒業後は再びアメリカに戻り、以降はニューヨークを拠点として活動を続けました。
アメリカ音楽の確立に貢献
帰国後のコープランドは、ジャズやアメリカ民謡の要素を取り入れた作風で、「アメリカらしい」クラシック音楽の確立に大きく貢献しました。代表作には以下のような作品があります。
- 『エル・サロン・メヒコ』(1936年)
- 『ビリー・ザ・キッド』(1938年)
- 『ロデオ』(1942年)
- 『市民のためのファンファーレ』(1942年)
- 『アパラチアの春』(1944年)
特にバレエ音楽『アパラチアの春』はピューリッツァー賞を受賞し、彼の名声を決定的なものにしました。
晩年と最期の地
晩年のコープランドは作曲活動よりも指揮活動に重心を移し、国内外で自作の紹介に努めました。そして1990年12月2日、ニューヨーク州ピークスキルにて90歳でこの世を去りました。
生まれてから亡くなるまでの90年の人生において、コープランドは短い海外滞在の時期を除き、その大部分をアメリカ合衆国、とりわけ故郷ニューヨーク州で過ごしたのです。