南アメリカの歴史

ミエル・イ・テラン報告書を受け取った後、メキシコはどのような対応をしたのか?

ミエル・イ・テラン報告書とは何か?

1828年、メキシコ政府の命を受けた将軍マヌエル・デ・ミエル・イ・テランは、テキサス地方の実情を調査し、その結果を報告書として提出しました。報告書の中で彼は、テキサスへ流入するアメリカ人移民が急増しており、このまま放置すればテキサスはメキシコから離れ、アメリカ合衆国に奪われる危険があると強く警告しました。

メキシコの対応:1830年4月6日法

この警告を受けて、メキシコ政府は直ちに無視したわけではありません。1829年にミエル・イ・テランが東部諸州司令官に任命されると、翌1830年4月6日、「4月6日法」と呼ばれる一連の措置が打ち出されました。主な内容は以下の通りです。

  • アメリカ合衆国からの新たな移民を禁止する
  • 未履行の入植契約(土地払い下げ)を取り消す
  • テキサスへの関税を課し、中央政府の統制を強化する
  • メキシコ人やヨーロッパからの移民を促進し、人口バランスを改善しようとする

対策はなぜ失敗したのか?

しかし、これらの政策は十分に機能しませんでした。広大な国境地域での法の執行は困難で、密入国や違法な移住は後を絶ちませんでした。さらに、関税の徴収や中央集権的な統制の強化は、テキサスの入植者たちの反発を招き、緊張はむしろ悪化していきました。

こうして不満を募らせたテキサスの人々とメキシコ政府との対立は、1835年のテキサス革命へと発展します。

サンジャシントの戦いとテキサス独立

1836年4月21日、サンジャシントの戦いにおいて、サム・ヒューストン率いるテキサス軍がメキシコ軍を奇襲し、圧倒的な勝利を収めました。わずか18分ほどで決着したこの戦いで、メキシコ大統領アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ自身が捕虜となり、テキサスの独立承認を余儀なくされました。

こうしてテキサス共和国は誕生しました。ミエル・イ・テランの警告は一部では対応されたものの、根本的な解決には至らず、彼が恐れた通りの結末――テキサスの喪失――が現実のものとなったのです。