南アメリカの歴史

1920年代のアメリカ:北部と南部で人種差別はどう違ったのか?

1920年代のアメリカ:北部と南部で人種差別はどう違ったのか?

1920年代のアメリカでは、北部・南部を問わず人種隔離(セグリゲーション)が社会の常態となっていました。しかし、その実施方法や浸透の度合いには、地域によって重要な違いがありました。

南部:法制度に深く根ざした徹底した人種隔離

南部では、人種隔離がより広範かつ深く根付いていました。法律によって、黒人は投票すること、公職に就くこと、陪審員を務めること、白人の学校に通うこと、白人と結婚することが禁じられていました。さらに、レストラン、ホテル、交通機関といった公共の場においても人種隔離が強制されていました。いわゆる「ジム・クロウ法」による厳格な差別体制が、南部社会を支配していたのです。

北部:非公式ながらも存在する差別

一方、北部の人種隔離は比較的限定的で、非公式なものでした。黒人の投票や公職就任を禁じる法律はなく、本人が望めば白人の学校に通うことも可能でした。しかしながら現実には、白人コミュニティで受ける差別に直面し、多くの黒人が結果的に黒人居住区に住み、黒人中心の学校に通うことを余儀なくされました。

暴力の役割における違い

南北のもう一つの重要な違いは、暴力の果たす役割でした。南部では、人種隔離の体制を維持するために暴力がしばしば用いられ、現状に挑戦しようとした黒人が私刑(リンチ)などの暴力的な被害を受けることも決して珍しくありませんでした。北部では人種隔離に伴う暴力は相対的に少なかったものの、黒人は生活の多くの場面で依然として差別に直面していました。

地域ごとに異なる黒人コミュニティの発展

全体として見れば、人種隔離は1920年代のアメリカ社会に深く根付いた仕組みでしたが、その強度や形態は地域によって大きく異なっていました。南部のジム・クロウ法は厳格な人種隔離システムを作り上げ、一方で北部のより非公式な人種隔離もまた、黒人の機会を着実に制限し続けていました。

こうした差別のあり方の違いの結果として、南北の黒人コミュニティはそれぞれ異なる道を歩むことになりました。北部では黒人たちがより活気に満ちた自立したコミュニティを築き上げることができた一方、南部の黒人は孤立と周縁化の中に置かれました。このような地域間の違いは、その後何世代にもわたって、アメリカにおける黒人の暮らしと歴史を形作り続けることとなったのです。