南アメリカの歴史

レーガン政権が1983年のグレナダ侵攻を正当化した2つの理由とは?

1983年10月、アメリカ合衆国はカリブ海の島国グレナダへの軍事介入(「アージェント・フューリー作戦」)を実行しました。当時のロナルド・レーガン政権は、この侵攻を正当化するために主に次の2つの理由を挙げています。

1. 島内にいるアメリカ人市民の保護

第一の理由は、グレナダに滞在していたアメリカ人市民、特にセント・ジョージ大学医学部に在籍する約800名の米国人留学生の安全を確保することでした。島内で政治的混乱が深刻化するなか、彼らが人質や盾として利用される危険性があると政権は判断し、その保護を介入の口実の一つとしました。

2. マルクス主義クーデター後の民主主義の回復

第二の理由は、マルクス主義勢力によるクーデターによって崩壊した民主主義を島に復活させることでした。1983年10月、副首相バーナード・コード率いる急進派がモーリス・ビショップ首相を追放・処刑し、軍事評議会による強権支配が確立されました。さらにキューバの影響力拡大も懸念されていたため、レーガン政権は「自由な選挙と民主的秩序の回復」を掲げて介入を正当化しました。

背景と結果

この侵攻には東カリブ諸国機構(OECS)加盟国など周辺国の部隊も参加し、作戦は数日以内に主要拠点を制圧して終了しました。その後、グレナダでは総選挙が実施され、民主的な政府が再建されました。ただし、この軍事介入は国連総会で非難決議の対象となるなど、国際法上の是非をめぐる議論も巻き起こしました。