真珠湾攻撃まで、アメリカは攻撃を行わなかった
第二次世界大戦中、アメリカ合衆国が本格的な軍事攻撃を仕掛けたのは、1941年12月7日の真珠湾攻撃(パールハーバー攻撃)より後のことでした。それまでアメリカは公式には中立の立場を保ち、レンドリース法による連合国への物資支援などは行っていたものの、自ら攻撃に踏み切ることはありませんでした。
日本軍による真珠湾攻撃
1941年12月7日、日本海軍はハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊に対して奇襲攻撃を実施しました。この攻撃により戦艦アリゾナ号をはじめとする多数の艦船が損傷・沈没し、およそ2,400名のアメリカ兵と一般市民が命を落としました。
翌12月8日、フランクリン・ルーズベルト大統領は「屈辱の日」という有名な演説を行い、議会の承認を得て日本に対して宣戦布告しました。これにより、アメリカは第二次世界大戦へ本格的に参戦することになったのです。
アメリカ初の反撃 ― ドーリットル空襲
アメリカが初めて日本本土を直接攻撃したのは、1942年4月18日のドーリットル空襲です。ジミー・ドーリットル中佐率いるB-25爆撃機16機が航空母艦ホーネットから発進し、東京をはじめとする各地を空襲しました。この作戦による物理的な被害は限定的でしたが、劣勢が続いていた時期のアメリカ国民の士気を大きく高める効果がありました。
つまり、アメリカの「最初の攻撃」は、1941年12月7日の真珠湾攻撃によって一方的に攻撃を受けたことがきっかけであり、その報復として実施された1942年のドーリットル空襲であると言えます。