結論:オタワは焼き払われていない
いいえ、オタワが1812年にアメリカ軍によって占領され、焼き払われたという事実はありません。この誤解はよく見られますが、米英戦争(1812年戦争)中にアメリカ軍によって焼かれたのは、当時アッパー・カナダ(現在のオンタリオ州)の首都であったヨーク(York)、すなわち現在のトロントです。
実際に起きたこと:1813年のヨーク襲撃
1813年4月、アメリカ軍はオンタリオ湖岸に位置するヨークを攻撃・占領しました。この際、議事堂などの政府建物が放火により焼失し、この出来事は「ヨークの焼討ち(Burning of York)」として歴史に残っています。
ヨーク襲撃の背景
- 米英戦争は1812年から1815年にかけて、アメリカ合衆国とイギリス(およびその北米植民地)の間で行われた戦争です。
- ヨークは当時アッパー・カナダの行政中心地であり、アメリカ軍にとって重要な戦略目標となっていました。
- この報復として、イギリス軍は翌1814年にワシントンD.C.を襲撃し、ホワイトハウスや議会議事堂を焼き払っています。
では、当時のオタワはどうだったのか?
興味深いことに、現在カナダの首都として知られるオタワは、1812年当時まだ正式な町として存在していませんでした。この地域にはわずかな入植者や木材業者が暮らす小さな集落があるだけで、「バイタウン(Bytown)」という名で町が形成されたのは1826年のことです。1855年にオタワと改称され、さらに1857年にヴィクトリア女王によってカナダの首都に選ばれました。
つまり、米英戦争期のオタワは軍事的にも政治的にも重要度が低く、アメリカ軍の攻撃対象になることはなかったのです。
まとめ
- オタワは1812年(および米英戦争全体を通じて)アメリカ軍に占領・焼却されていません。
- 1813年に焼かれたのはヨーク(現トロント)であり、これが誤解の原因と考えられます。
- 当時のオタワはまだ小さな集落にすぎず、首都になったのは1857年になってからです。