人類最古の職業は「売春」だと言われるが、筆者は疑問を持っている。黒髪の民シュメール人の文化を見れば、確かにそうかもしれない。しかし、最古の楔形文字板にすでに登場するもう一つの活動がある。それは酒を酌み交わすこと、すなわち飲酒に関わるあらゆる営みだ。人類が果実や種子の採集を始めた頃から、すでに「発酵」という興味深い化学プロセスに気づいていたのかもしれない。
宴の国、シュメール
シュメール人は宴が大好きだった。愛を育み、歌い、楽しみ、酒を飲むことを愛した。その酒にアルコールが含まれていれば、なおさら良かった。シュメール語で宴会を意味する言葉は「カス・デ・ア(kas-de-a)」で、「ビールを注ぐ」と訳される。この宴の主な目的が何であったかは、もう想像がつくだろう。
アルコールを含む酒の消費は、社会のあらゆる階層に及んでいた。上流階級では、王位に就く前は酒場の女将だった女王クグ・バウ(Kug-Bau)の例がある。また、ウル・ナンム(Ur-Nammu)王は杯を交わす合間に酒宴の詩を書いていたという。神々でさえ、この酒宴に加わっていた。例えば女神イナンナ(Inanna)は、エンキ(Enki)を酔わせ、その泥酢に乗じて「メ(ME)」——神と人間の神聖な法——を持ち去り、ウルクの街へ持ち帰ったことでその所有者となった。神殿では、神々自身が毎日、様々な種類のビールやワインを含む手の込んだ食事と飲み物の儀式を要求した。偉大な英雄ギルガメシュ(Gilgamesh)でさえ、酒場の女将シドゥリ(Siduri)の助言を求めたのである。

格言に見るシュメール人のユーモア
酒を題材にした格言も数多く残されている。ユーモラスなものもあれば、教訓的なものもある。例えば、入浴の習慣がない人は「手を洗わずにビールを注ぐ者」と呼ばれた。庶民のジョークの一例がこれだ。
狐が海で小便をした。「すべて俺の小便だ」
酔っ払いが海で小便をした。「すべてビールだ」
シュメールの運河は多くよく整備されていたが、道路はそうではなかったようだ。「道は悪い、ビールは良い」という格言がそれを物語る。別の格言では「楽しみはビールを飲むこと、厄介事は旅に出ること」と述べられている。さらに「ビールを飲む者は水を飲む者だ」という箴言からは、商業的な不正がすでに横行していたことがうかがえる。
ワインとヤシ酒
シュメール人はすでにブドウ酒を知っていたが、それは高価すぎた。それでも裕福な女性たちは、飲むだけでなく髪を洗うのにも使っていた。数回洗髪すると、黒い髪に独特の艶や銅色の反射が加わり、日光の下で輝いたという。ワインの臭いを消すのにどんな香水を使ったのかは謎のままだ。ヤシ酒も飲まれており、最も珍重されたのはウルク産のものだった。同市はナツメヤシのプランテーションで有名だったからだ。ヤシ酒は戦いで功績を挙げた戦士への褒賞や、投石兵などの特殊な兵士への奨励品として贈られた。ヤシ酒にはある種の男らしさのオーラが宿るとされ、子を授かるための媚薬の材料にもなった。
30種類以上のビールと醸造の秘密
しかし、あらゆる発酵酒の中で最も人気があったのはビールだった。それは、最も貧しい人々でも一杯分を賄えたからでもある。実際、多くの神殿や宮殿では、ビールは労働者の毎日の食事配給の一部だった。ウルの街は、神域に属する醸造所で有名だった。遠隔地への輸出だけでなく、30種類以上の異なるビールが製造されていたことがわかっている。
その中には、宴で上座に座る人々や、死者の日(キスプム/Kispum)の儀式で祖先に捧げられた「薄めたもの」、透明なものと濁ったもの、甘いものと苦いもの、スペルト小麦入りのもの、黒ビール——どうやらシュメール人はギネスに先んじていたようだ——、さらにデーツ入りのもの、オリーブ入りのもの、カニ入りのものといったエキゾチックな品々もあった。最も興味深いのは、それらがどのように作られたのかまったくわからないことだ。これらの特産品のうち、名前しかわからないものもある。醸造の詳細は商業機密であり、その漏洩は死刑に値した。したがって、製造工程の詳細を記した粘土板が見つかっていないのは当然である。
その一例としてよく挙げられるのが、ビールの女神ニンカシ(Ninkasi)への賛歌だ。彼女は「新鮮に湧き立つ水から生まれ、心を潤す、口を満たす貴婦人」と描写されている。この称号を考案した者は、まともに横になれる状態ではなかったことは明らかだろう。賛歌には製造方法らしきものが記述されており、ミュンヘン工科大学による「タル・バジ(Tall Bazi)」やペンシルベニア大学による実験など、再現の試みが行われてきたが、まだ完全には解明されていない。マックス・プランク研究所の歴史学者ペーター・ダメロウ(Peter Damerow)によれば、いずれの実験も賛歌に記された工程の一部(水量など)を変更することで成功したものだという。テキストの書き手が何らかの詳細を商業機密として隠したか、あるいは現在の材料が当時のものと異なっているのではないかと疑われている。いずれにせよ、3.5度を超えるアルコール度数は一度も達成されたことがなく、それも粘土板に記された条件を大幅に変えて達成されたものだった。

シュメールの酒場
最後に、シュメール人にはバーがあったのか?答えはイエスだ。多くの女性は持参金の財産で酒場を開き、自分の土地で作ったブドウ酒や安価な自家醸造ビールを売っていた。酒場は港や都市の出入口に置かれることが多く、客の多くは商人や旅人だった。酒場は簡単な一室だけのこともあれば、旅人が宿泊する2階を備えた宿屋を兼ねたものもあった。また、天幕で覆われた中央の中庭を持つものもあり、客は店内で飲むだけでなく、ハープ奏者や歌手の演奏を楽しむこともできた。
ビールは円錐形の底を持つマグカップで提供された。穴の開いた板に置いて支えるためだ。シュメールのビールは澱が多かったため、ストローで飲まれていた。一人前のシュメール人は皆、自分専用のストローを持っていたが、現地で借りることもできた。裕福な人々は貴重な材料で作らせた。最も有名なものの一つが、ウルの王墓から出土したプアビ(Puabi)女王のもので、黄金とラピスラズリで作られている。さらに、私たちには文化的に奇妙に思えるが、客は「ビールの妻」と呼ばれる、売春に従事する地元の奴隷女性のサービスを求めることもできた。シュメール人の二大趣味——ビールを飲むことと愛を交わすこと——が一緒に描かれたレリーフが、実際に見つかっている。

さあ、質の高いワインのテイスティングの発明を手伝ってくれたシュメール人に感謝し、ジョッキを手にこう言おう。「酔った私?トゥルル!」アッカド語風に言えば——
シャキル・ラマニ?トゥルルム!(Shakiru Ramani? Tururum!)