
1941年の対イタリア・対ドイツ戦において、ギリシャ騎兵は決定的とも言える役割を果たした。数こそ少なかったものの、ギリシャの騎兵たちは高度な訓練を積んだ精鋭ぞろいで、「エリート部隊」と呼ぶにふさわしい存在だった。
騎兵師団(MI)を中核とした編制
ギリシャ騎兵の中核は騎兵師団(MI)であり、その傘下に騎兵旅団(TI)が属していた。TIは一時期、独立部隊としても行動している。これとは別に、AからEまでの5個軍団にはそれぞれ軍団偵察群(OCR)が1個ずつ配属され、さらに歩兵師団と同じ番号を冠した15個の師団偵察群が編成されていた。
連隊の編制と装備
MIには第1・第3騎兵連隊(SI)と自動車化騎兵連隊(MK/SI)が所属していた。各連隊は4個騎兵中隊(イル)、12丁の機関銃を装備する騎乗機関銃中隊(EIP)、そして4門の81mm迫撃砲を擁する迫撃砲中隊で構成されていた。さらにMI本体には、3個EIP(機関銃計36丁)からなる騎乗機関銃部隊と、戦車1両が配されていた。
自動車化騎兵連隊(MK/SI)は、メルセデス・ベンツW152型4×4車44台、メルセデス・ベンツLG2500型6×6車44台、フィアット製2.5トントラック75台、それに多数のオートバイを保有していた。編制は通常の騎兵連隊とほぼ同一だが、1個中隊のみ「軽中隊(Elafra Ili)」と呼ばれていた点が異なる。
偵察群の戦力
各偵察群(OASS)は2個中隊ずつを持ち、それぞれ12丁の機関銃を備えたEIPと、81mm迫撃砲2門からなる迫撃砲小隊を保有していた。憲兵のOAは2個機動中隊と機関銃分隊(機関銃4丁)を有していた。全体で見ると、騎乗中隊48個と自動車化中隊4個、NTUA 11個、機関銃部隊15個(機関銃計192丁)、迫撃砲中隊3個(迫撃砲12門)、迫撃砲小隊5個(迫撃砲10門)という戦力が揃っていた。
砲兵と対空火器
砲兵面では、MIは75mm砲を2門装備する騎乗砲兵部隊(計8門)と、シュコダ製75mm砲4門を車両輸送する自動車化砲兵部隊を有していた。対空兵器としては、37mm砲4門、20mm砲2個部隊(各4門)、騎乗20mm砲部隊からなる混成部隊が配属されていた。加えてMIには、工兵中隊1個と通信中隊2個が編入されていた。
歩兵大隊を上回る火力
騎兵連隊の兵力は歩兵大隊とほぼ同等だったが、迫撃砲を保有していたため、火力ではむしろ優位に立っていた。騎兵は重小銃とサーベルを携行し、馬上でも徒歩でも戦えるよう訓練されていた。なお第2騎兵連隊は馬を保有せず、1941年のクルシアの戦いでは、合同歩兵大隊としてドイツ軍と戦っている。
実戦における騎兵の活躍
騎兵は開戦当初から侵略者と戦った。ソクラティス・ディマラトス大佐率いるTIは、第1騎兵連隊、軽中隊、シュコダ自動車化砲兵を率いてピンドス山岳地帯で見事な働きを示し、歩兵師団の増援を受けながら、イタリア・アルピーニ山岳師団「ユリア」の進撃阻止に最大の貢献を果たした。フィロピメナ・コッキノス中佐指揮下のB偵察群もまた、際立った戦功を挙げている。
続いてMIがピンドスへ投入された。小アジア戦争の英雄であり、経験豊富な騎手でもあったゲオルギオス・スタノタス少将の指揮下で、MIは第3騎兵連隊とMK/SIを率いて、対イタリア反攻作戦において目覚ましい活躍を見せた。特に特筆すべきは、英雄的に戦死したフリジス中佐率いる支隊と共にアルマタ村で戦った第3騎兵連隊第1大隊の戦いである。
この戦いで、イタリア第8山岳連隊は痛烈な打撃を受けた。またピンドスでは、第2偵察群の中隊が中隊長ゲオルギアディスの指揮下で第1歩兵師団に配属されて行動し、第9・第10偵察群(X OA)も戦列に加わった。第9偵察群はプルニア村の戦いで殊勲を上げ、さらに同群の一隊は歩兵の到着を待たず単独でスモリカス山地のツォバニ高地を占領し、捕虜60名を確保する快挙を成し遂げた。
第10偵察群はイタリア軍の追撃段階で頭角を現した。その後、TIを編入したMIは、北部エピロス方面へ進撃するギリシャ軍の各歩兵師団間の連絡任務を担い、最前線から引き揚げられて総司令官直轄の予備隊となった。しかし結局、悪天候のために実戦投入されることはなかった。
ドイツ軍の侵攻が始まると、再び騎兵が戦場に立ち上がった。MIの対独戦については別稿で詳述するが、この際には第19自動車化師団もドイツ軍に対して戦っている。