「ルーマニアはどのようにしてソ連から自由を勝ち得たのか」という問いには、実は一つの誤解が含まれています。ルーマニアはソビエト連邦(ソ連)の一部だったことは一度もないからです。
ルーマニアはソ連に併合されていない
エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国のようにソ連に併合された国々とは異なり、ルーマニアは終始独立した国家として存在し続けました。そのため、「ソ連からの解放」「ソ連からの独立回復」という表現は、歴史的に見て正確ではありません。
共産主義政権下の時代(1947年〜1989年)
ただし、ルーマニアが自由な国だったわけでもありません。第二次世界大戦後の1947年、ルーマニアは王政を廃止してルーマニア人民共和国となり、共産主義体制へと移行しました。
以降1989年までの約40年間、ルーマニアは次のような形でソ連の強い影響下に置かれていました。
- ワルシャワ条約機構(軍事同盟)への加盟
- 経済相互援助会議(COMECON)への参加
- 共産党による一党独裁政治の確立
しかし、これらはあくまで「同盟関係」によるものであり、ルーマニアがソ連の構成共和国になったわけではないという点が重要です。
1989年の革命による体制崩壊
1989年12月、東欧各地で民主化革命が広がる中、ルーマニアでもティミショアラを起点とした大規模な反政府デモが発生しました。運動は瞬く間に全国へ拡大し、約25年間独裁体制を敷いたニコラエ・チャウシェスク政権は崩壊。チャウシェスク夫妻は軍事裁判の末に処刑され、ルーマニアは共産主義体制を放棄することになりました。
まとめ
正確に言えば、ルーマニアは「ソ連から独立を勝ち取った」のではなく、ソ連の影響下にあった自国の共産主義政権を、1989年に国民自身の手で打倒したというのが歴史的事実です。「ソ連の一部」と「東側陣营の同盟国」の違いを理解することが、この時代の東欧史を正しく把握する鍵となります。