ヨーロッパの歴史

パリ講和会議(ベルサイユ)を主導した「ビッグ4」とは?連合国側の指導者を解説

第一次世界大戦の終結後、1919年にフランスのパリ(およびヴェルサイユ)で開かれた講和会議では、戦勝国である連合国側の首脳たちが戦後処理と新しい国際秩序の構築を議論しました。なかでも会議の実質的な主導権を握ったのは、次の4人の指導者であり、彼らは通称「ビッグ4(Big Four)」と呼ばれています。

ビッグ4と呼ばれた4人の指導者

デビッド・ロイド・ジョージ(David Lloyd George)— イギリス

イギリスの首相。大戦中から国民を率いて勝利に導いた指導者で、講和会議では穏健な条件を重視し、ドイツの完全な壊滅よりも欧州の均衡と貿易の回復を優先する立場を取りました。

ジョルジュ・クレマンソー(Georges Clemenceau)— フランス

フランスの首相。「虎(Tigre)」の愛称で知られる強硬派の指導者です。国土が主戦場となり甚大な被害を受けたフランスの代表として、ドイツに対する厳しい賠償と安全保障を強く求め、ヴェルサイユ条約の厳格な内容に大きな影響を与えました。

ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)— アメリカ

アメリカ合衆国の大統領。戦後の平和構想として有名な「14か条」を提唱し、国際紛争を話し合いで解決する常設機関として国際連盟の創設を強力に推進しました。理想主義的な外交理念で会議に臨みましたが、帰国後は上院の反対によりアメリカは国際連盟への加盟を実現できませんでした。

ヴィットーリオ・オルランド(Vittorio Orlando)— イタリア

イタリアの首相。第一次世界大戦に参戦した見返りとして、フィウーメ(現在のクロアチアのリエカ)などの領土要求を掲げました。しかし要求がほぼ受け入れられなかったため、会議途中の1919年4月に離脱し、その後は事実上ビッグ4の枠組みから外れることになりました。

日本の立場について

なお、日本も五大国の一つとしてパリ講和会議に参加し、西園寺公望らが全権大使として出席しました。ただし、ヨーロッパ問題に関する重要な決定は主に上述のビッグ4によって行われ、日本は山東問題や人種差別撤廃提案など、自国に関わる議題を中心に対応しました。

まとめ

こうした首脳たちの交渉の結果、1919年6月28日にヴェルサイユ条約が調印されました。しかし、ドイツへの過酷な条件や大国間の思惑の対立は、後の国際緊張を生む要因ともなり、歴史上非常に重要な転換点となった会議です。