エカチェリーナ2世はなぜ「啓蒙専制君主」と呼ばれたのか
ロシア帝国の女帝エカチェリーナ2世(在位1762年~1796年)は、強大な権力を握った「絶対君主」でしたが、その統治の実態は単なる専制支配とは異なっていました。彼女は後世、当時のヨーロッパで理想とされた「啓蒙専制君主(開明専制君主)」の代表例として高く評価されています。
エカチェリーナ2世は、手に入れた権力を私欲のためではなく、ロシアの近代化と国民生活の向上のために活用しました。芸術を奨励し、教育や科学の振興に力を注ぎ、国全体の文化的水準の引き上げを目指したのです。
ヴォルテールやディドロとの交流が示す啓蒙精神
特筆すべきは、啓蒙時代を代表する哲学者であるヴォルテールやディドロと文通を交わし、彼らの思想の多くを自らの政策に取り入れた点です。1767年には啓蒙思想を基調とした立法綱領「ナカーズ(聖諭)」を起草し、新法典編纂のための立法委員会を召集するなど、法と政治の近代化にも着手しました。また、ディドロの蔵書を購入して彼を支援したことでも知られています。
暴君ではなく、献身的な指導者だった
あらゆる権力を手中に収めながらも、エカチェリーナ2世はそれをロシアの進歩と繁栄、そして臣民の暮らしの改善のために捧げました。鉄の拳で民を抑えつける暴君ではなく、祖国の発展のために献身的に働き続けた、有能で啓蒙的な指導者だったのです。
このようにエカチェリーナ2世の「絶対君主」としての側面は、啓蒙思想という時代の精神と結びつくことで、ロシア史上まれに見る文化的・知的黄金期を生み出す原動力となりました。