いいえ、1773年の紅茶法(ティー法)は、フレンチ・インディアン戦争の戦費を賄うためにイギリス政府が入植者から税収を得ることを直接の目的として制定されたものではありません。
紅茶法の真の目的
紅茶法の主な狙いは、当時深刻な経営難に陥っていたイギリス東インド会社の救済でした。同社は倉庫に大量の余剰茶を抱え、倒産の危機に瀕していました。そこでイギリス議会は、東インド会社がアメリカ植民地に直接茶を販売することを認め、中間業者(仲買人や輸入商)を介さずに取引できるようにしたのです。
なぜ入植者は反発したのか
興味深いことに、この法律によって植民地の消費者が手にする紅茶の価格は、むしろ下がる仕組みになっていました。しかし、茶には依然としてタウンゼンド諸法による小さな関税が課されており、入植者たちは「代表なくして課税なし」の原則に反するこの関税を黙って受け入れるよう仕向けられたと感じたのです。
その結果、紅茶法はボストン茶会事件(1773年)といった激しい抵抗を引き起こし、やがてアメリカ独立革命へとつながっていきます。
戦費調達との関係
フレンチ・インディアン戦争(1754年〜1763年)で膨らんだイギリスの債務に対処するために制定されたのは、むしろそれ以前の砂糖法(1764年)や印紙法(1765年)などの諸法令でした。紅茶法自体は歳入確保というより、東インド会社の経営支援と、植民地へ流入していたオランダ産密輸茶への対抗策として位置づけられていたのです。