第一次世界大戦の講和条約であるヴェルサイユ条約には、ドイツ側の戦争責任者を裁くための「戦争犯罪条項」が含まれていました。しかし、この条項の導入についてフランスとイギリスは積極的に賛成していたわけではなく、むしろ以下に挙げるような理由から反対・慎重の立場をとっていました。
1. 前例がないことへの懸念
両国が最大に警戒したのは、危険な前例を作ってしまう可能性です。戦時中の行為を理由に個人を訴追する仕組みを国際的に確立すれば、将来的には自国の兵士や指導者が同じ措置の対象となる恐れがあります。フランスもイギリスも、戦争という特殊な状況下での行為を個人の罪として問うこと自体が先例となり、自国軍に対して同様の手段が用いられかねないと強く懸念していたのです。
2. 法的な問題点
次に、条項の合法性と実行可能性に関する疑問がありました。
十分な証拠を収集し、明確な責任の基準を設けることは極めて困難であり、手続きの公平性や客観性が損なわれるおそれが指摘されていました。また、関係者全員を平等に裁くことは現実的に不可能なため、ダブルスタンダードや恣意的な「選択的訴追」につながりかねないという声も上がりました。法の支配を重んじる両国にとって、こうした曖昧さは看過できない問題だったのです。
3. 政治的な配慮
政治面への影響も重要な判断材料でした。敗戦国ドイツに戦争犯罪条項を押しつければ、多くのドイツ国民はそれを屈辱的で報復的な措置と受け止め、恨みや反発を募らせるでしょう。それは戦後の国際関係の再構築や恒久和平の努力を妨げ、さらなる政情不安を招きかねません。フランスとイギリスはこうした政治的反動を回避するため、ドイツに対してはより融和的なアプローチを維持しようとしたのです。
代わりに選ばれた方針
こうした事情から、両国は戦争犯罪条項という法的にも政治的にも複雑で物議を醸す仕組みに頼る代わりに、領土の調整・賠償金の支払い・軍備の制限という三つの措置によってドイツを弱体化させ、将来の紛争を防ぐ道を選びました。安全保障の確保と戦争の再発防止という目的を達成するうえで、こちらのほうが効果的かつ現実的だと判断されたのです。
実際の結果
なお、戦争犯罪者の処罰は最終的に限定的なものにとどまりました。亡命先のオランダは元皇帝ヴィルヘルム2世の引き渡しを拒否し、ドイツ国内で行われたライプツィヒ裁判でも有罪判決はごくわずかでした。戦勝国の思惑と現実との乖離が、戦間期の国際秩序に影を落とす一因となったといえます。