斉(チー/Qi)は、紀元前771年から紀元前221年までの間、中国が数多くの小国に分裂していた春秋戦国時代において、最大級かつ最も強大な勢力を誇った国家の一つです。
![斉(チー)|古代中国の国家[紀元前771年~紀元前221年]](https://www.historyback.com/article/uploadfiles/202207/2022072216494176.jpg)
華東に栄えた古代国家「斉」とは
斉は華北平原の最東端、現在の山東省および河北省の一部にあたる地域に位置していました。紀元前7世紀から6世紀にかけて、周辺の「蛮族」と呼ばれた諸民族の領域を次々と併合し、国土を大幅に拡張していきました。
桓公と管仲による富国強兵の改革
斉の躍進を決定づけたのは、半ば伝説化している名君・桓公(斉の桓公)と、彼を支えた名宰相・管仲(かんちゅう)の時代です。この二人のもとで、斉は当時としては極めて先進的な政策を次々と実施しました。
- 全国に統一された税制の導入
- 中央直轄の常備軍の創設
- 塩と鉄の生産に関する国家専売制の確立
- 世襲的身分ではなく、能力本位に基づく中央集権的な官僚機構の構築
これらの政策自体は斉独自の発明ではありませんでしたが、そのすべてを本格的に実行に移した最初の国家は斉でした。この改革の成功こそが、斉を列国中随一の強国へと押し上げたのです。
春秋時代の覇者としての頂点
改革の成果により、斉は中国の大部分に影響力を及ぼすようになりました。紀元前651年には、周辺の小国を同盟へと組織し、北と南から押し寄せる半蛮族的な勢力の侵入を撃退することに成功しています。こうして斉は中国における覇権(ヘゲモニー)を手にしました。
しかし、その覇者の地位は長くは続きませんでした。桓公の死後、斉は内部の争乱によって同盟の盟主の座を失い、その間に他の諸国が着実に力を伸ばしていきました。
戦国時代の再興と、秦による滅亡
紀元前4世紀に入ると、新たな統治家系である田氏のもとで、斉は再び中国政治の主導権を握る強国として復活します。紀元前3世紀初頭には、単独での覇権回復を試みましたが、これは失敗に終わりました。
その後の斉は衰退の一途をたどり、ついに紀元前221年、西方の強国・秦(しん)によって吸収されました。斉の滅亡をもって、秦による全中国の統一が完成し、強力な中央集権国家が誕生したのです。