古代の歴史

バーニシア王国とは?ノーサンブリアへと統合されたイングランド北部のアングロサクソン古王国

バーニシア(Bernicia)は、中世初期のブリテン島北部に存在したアングロサクソン人の王国です。7世紀の最後の四半期に、南に隣接するデイラ(Deira)王国と恒久的に統合され、歴史上名高いノーサンブリア(Northumbria)王国が形成されることになりました。

広大な領域と二つの王宮

バーニシアの勢力範囲は、おおよそティーズ川(River Tees)より北側に広がっていました。やがてその版図はフォース湾(Firth of Forth)にまで及び、さらにソルウェー湾(Solway Firth)方面へも影響力を拡大していきました。

王国の王宮の一つは、海岸沿いのバンバー(Bamburgh)に置かれていました。また、内陸へ約32キロメートル(20マイル)入った場所にあるイェヴェリング(Yeavering)にもう一つの王宮が存在し、現地での発掘調査では、当時の権力の大きさを物語る印象的な建造物群の遺構が明らかになっています。

記録に残る最初の王イーダ

文献上確認できる最初のバーニシア王はイーダ(Ida)で、西暦547年、あるいは550年代半ば頃(c. 558年)に即位したと伝えられています。

エゼルフリスによる両王国の統合

イーダの孫にあたるエゼルフリス(Aethelfrith)は、593年から616年まで在位し、バーニシアとデイラを初めて一つの支配下に置きました。エゼルフリスの後を継いだのは、デイラ出身の王エドウィン(Edwin)であり、彼もまた両王国を統治しました。

エゼルフリスの子であるオスワルド(Oswald)も引き続き両王国を支配しましたが、641年にオスワルドが没すると情勢は変化します。その弟はバーニシアのみを継承し、一方デイラの人々は独自の王を選出して、678年まで独立した勢力として存続しました。

資料としての価値

こうした初期イングランド史に関する記録の多くは、8世紀の修道士ベーダ(聖ベーダ・ヴェネラビリス)が著した『イングランド教会史』などの同時代・近時代の文献によって伝えられており、バーニシアの歴史はアングロサクソン七王国時代を理解するうえで欠かせない要素となっています。