第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所では数千人の女性看守(Aufseherin)が勤務していました。なかでもイルマ・グレーゼは、まるでハリウッド女優のような整った容貌を持ちながら、囚人たちから最も恐れられた存在です。「美しき野獣」「アウシュヴィッツのハイエナ」――彼女はいかにして歴史に残る戦犯へと変わっていったのでしょうか。
壊れた家庭と母の悲劇
イルマ・グレーゼは1923年10月7日、メクレンブルク地方の農村レッヒェンで、5人きょうだいの3番目の子として生まれました。父アルフレートは牛乳配達員として家計を支え、後にナチ党へ入党しています。
しかしその結婚生活は、外から見るような幸せなものではありませんでした。1936年、母ベルタは夫の不倫に耐えかね、塩酸をあおって自ら命を絶ってしまうのです。まだ13歳だったイルマと4人のきょうだいは母を失い、父はほどなく再婚しました。
学校での孤立と「ドイツ女子同盟」へ
イルマの学校生活は決して恵まれたものではありませんでした。成績はふるわず、同級生からの激しいいじめにも苦しんだといいます。14歳になると、彼女は学校を中退します。
そんな孤独な少女の心の拠り所となったのが、女性だけのナチス青少年組織「ドイツ女子同盟(BDM)」でした。父親の反対を押し切って入団したイルマは、そこで初めて自分の居場所を見出したといわれています。
転々とした職歴と、閉ざされた看護師の道
その後、イルマは農場の手伝いや商店の店員など、いくつかの職を渡り歩きます。履歴書の中でひときわ目を引いていたのは、SSの保養施設で2年間看護助手として働いた経験でした。本格的な看護師を目指して挑んだものの、試験には合格できず、受け入れ先も見つかりません。夢を断たれた彼女は職場を去り、乳製品工場で働くことになります。
「機会」をつかんだ収容所への志願
第二次世界大戦は無数の命を奪う一方で、皮肉なことに一部の人間には「機会」をもたらしました。1942年、再び看護師を志願したイルマでしたが、またしても門は開かれません。しかし彼女は落胆しませんでした。美しく、野心に満ち、独身で、SSでの勤務経験という「資格」すら持つ彼女にとって、次の道は明確だったのです。
こうしてイルマは、ベルリン北方に新設されたばかりの最新鋭の強制収容所――ラーフェンスブリュックの女性看守職に志願しました。
アウシュヴィッツへ――「美しき野獣」誕生
1943年3月、イルマはアウシュヴィッツ強制収容所へ異動となります。大量虐殺という人類史上最悪の「発明」の中心地ともいうべき場所で、彼女の新しい職務は女性看守(Aufseherin)でした。
そして彼女はすぐに、自分がこの「仕事」に向いていることを悟ります。鞭で囚人を打ち、選別の場でガス室行きを宣告し、放った犬で囚人を襲わせることもあったといいます。その残虐性から囚人たちは彼女を「アウシュヴィッツのハイエナ」と呼んで恐れ、一方でその美貌から「美しき野獣」とも呼ばれました。
22歳の絞首刑――野獣の末路
1945年1月、ソ連軍の接近によりアウシュヴィッツが撤退を余儀なくされると、イルマはベルゲン・ベルゼン収容所へ移動します。同年4月、同収容所は英軍によって解放され、彼女はその場で逮捕されました。
同年9月に始まった「ベルゼン裁判」で、イルマ・グレーゼは殺人と虐待の罪に問われます。法廷でも冷静さを崩さなかった彼女でしたが、生存者たちの証言の前では抗弁の余地はありませんでした。11月17日、死刑判決が下されます。
1945年12月13日、イルマ・グレーゼは22歳で絞首刑に処されました。20世紀に英国司法のもとで処刑された女性としては、これが最年少の記録です。ハリウッド女優にも匹敵するといわれた美貌は、歴史に残る戦犯の顔として記憶されることになったのです。