有名な「矢の一撃」の伝説はどこから来たのか
1066年10月14日のヘイスティングスの戦いで、イングランド王ハロルド・ゴドウィンソンが、ノルマンディー公ギヨーム(後の征服王ウィリアム)の放った矢で目を射抜かれて戦死した――この劇的な場面は、11世紀に制作された「バイユー・タペストリー」に描かれていることで広く知られています。
しかし、歴史的な観点から見ると、ハロルドが実際に矢で目を射抜かれて死亡したという確かな証拠は存在しません。むしろ、これは後世に定着した「伝説」に近いものなのです。
バイユー・タペストリーは何を語っているのか
タペストリーには「HAROLD」という銘の下で、目に矢が刺さったように見える人物と、ノルマン騎士に斬りつけられる人物が並んで描かれています。ところが、この場面には解釈の余地が数多く残されています。
- 矢のように見える刺繍は、後世の修復時に追加された可能性がある
- 人物が握っているのは矢ではなく、槍である可能性もある
- そもそも二人のうちどちらがハロルド本人なのかも断定できない
同時代の記録は互いに食い違っている
当時の記録家たちの証言も、決して一致していません。
- ポワティエのギヨーム:ウィリアム公側の公式な立場に近い記録者ですが、ハロルドはウィリアム自身を含む4人の騎士によって倒されたと述べるだけで、矢には一切触れていません。
- ジュミエージュのギヨーム:矢が頭部に達したと記しています。
- 『ヘイスティングスの戦いの歌』:ハロルドは騎士たちに囲まれ、剣で斬り殺されたと描写しています。
現代の歴史家の見解
現在の歴史学者の多くは、ハロルドは戦闘の終盤、徒歩で奮戦していたところをノルマン騎兵隊に襲われて倒された、と考えています。戦闘中に矢による負傷を負った可能性そのものは否定できませんが、それが直接の死因だったと断定できる史料は存在しないのです。
つまり、「征服王ウィリアムがハロルドの目に矢を射込んで殺した」というドラマチックな物語は、タペストリーの一枚の絵と断片的な記録が組み合わさって生まれた、後世のイメージだと言えるでしょう。