古代の歴史

中世の日本に郵便サービスはあった?駅伝・飛脚・手先でたどる手紙の歴史

結論から言えば、中世の日本にも郵便サービスは存在していました。ただし、現代の郵便制度と比べると、ごく原始的なものでした。ここでは、時代ごとの変遷を追いながら、中世日本の手紙や小包がどのように届けられていたのかを見ていきましょう。

平安時代:官営の通信制度「駅伝」

最初に公式の郵便制度が整備されたのは平安時代です。当時の政府は「駅伝」と呼ばれる制度を設け、主要な街道沿いに置かれた継ぎ場で、使者が竹筒に入れた文書を次の使者へと受け渡す方式を採用していました。

駅伝はあくまでも政府の公用文書伝達のためのものであり、一般庶民が利用できるサービスではありませんでした。

鎌倉時代:民間の使者「飛脚」の登場

鎌倉時代になると、「飛脚」と呼ばれる新しい配達サービスが登場します。飛脚とは、個人や商家が雇う私設の使者のことで、手紙や小さな荷物を運搬しました。

彼らの多くは元武士や元兵士であり、驚異的な速さと持久力で知られていました。しかし利用料は高額で、主に富裕層や権力者だけが使えるサービスだったのです。

室町時代:より広く普及した「手先」制度

室町時代には、「手先」と呼ばれる、さらに大規模な郵便システムが発展しました。仕組みは飛脚と似ていますが、より幅広い顧客層に対応していた点が大きな特徴です。

各地の郵便取扱人が主要な街道沿いに宿駅を設け、旅人はそこで馬を借り、料金を支払って文書や荷物を配送してもらうことができました。

中世の郵便を取り巻く課題

こうした郵便サービスには、いくつかの深刻な課題がありました。

  • インフラの未整備:道路状況が悪く、配達に時間がかかった
  • 盗賊の出没:街道上での強盗により、郵便物が奪われる危険があった
  • 自然災害:台風や洪水などで配達が遅延・中断することも珍しくなかった
  • プライバシーの欠如:文書は封をせずに運ばれるため、内容はほぼ丸見えで、当局による検閲の対象にもなり得た

それでも、駅伝から飛脚、そして手先へと続くこの流れは、後の江戸時代に発展する本格的な飛脚網の基礎となりました。中世の郵便は未熟ながらも、情報を遠隔地へ届けるという重要な役割を担っていたのです。