紀元前30年、エジプト最後の女王クレオパトラ7世は、オクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)率いるローマ軍に敗れて捕らえられた後、毒蛇(アスプ)に腕を噛ませて自ら命を絶ったと伝えられています。一方、恋人だったローマの将軍マルクス・アントニウスもまた、悲劇的な形で生涯を閉じました。そして二人は、密かに一緒に埋葬されたといわれています。果たしてそれは事実なのでしょうか。
クレオパトラの悲劇的な最期
アクティウムの海戦での敗北後、オクタウィアヌスの軍勢がアレクサンドリアに迫ると、クレオパトラは降伏し、事実上の幽閉状態に置かれました。古代の記録によれば、彼女は農民がイチジクの籠に隠して運び込んだという毒蛇――アスプ(コブラの一種)――に自らの腕を噛ませ、39歳でこの世を去ったとされています。ただし、毒蛇ではなく毒薬を用いて死んだのではないかとする説もあり、正確な死因は今なお議論の対象となっています。
アントニウスの自殺
マルクス・アントニウスは、クレオパトラがすでに自害したと誤って伝え聞いた際、自らの剣で腹を刺して自殺を図りました。しかしその場では死にきれず、その後、クレオパトラがまだ生きていることを知らされます。歴史家プルタルコスの記述によれば、アントニウスは瀕死の状態でクレオパトラのもとへ運ばれ、彼女の腕の中で息を引き取ったといいます。
二人は本当に一緒に埋葬されたのか?
多くの歴史家は、二人の遺体が秘密裏に一緒に埋葬されたと考えています。オクタウィアヌスは当初、クレオパトラをローマでの凱旋式の見せ物にするつもりでしたが、彼女の自死によってその計画は潰えました。それでも、かつての女王への敬意ある配慮から、オクタウィアヌスは二人を手厚く葬り、同じ墓に眠らせることを許したと伝えられています。
墓の所在は今も謎のまま
興味深いことに、この有名な「愛の墓」の正確な場所は、2000年以上経った今日でも発見されていません。古代の文献は墓がアレクサンドリア近郊にあることを示唆していますが、海岸線の変化や地震、津波による地盤沈下などで、当時の地形は大きく様変わりしてしまいました。近年では、アレクサンドリア西方のタポシリス・マグナ遺跡が有力候補として注目されており、考古学者たちによる調査が続けられています。
結論として、クレオパトラとアントニウスが共に埋葬されたというのは、古代の記録に基づく信頼性の高い伝承です。しかし、その墓が実際にどこにあるのかは、現代考古学最大の未解決ミステリーの一つであり続けているのです。