古代の歴史

アステカ人がテスココ湖の二つの島に築いた都市とは?その名は「テノチティトラン」

湖上に浮かぶアステカの首都「テノチティトラン」

アステカ人がテスココ湖(Lake Texcoco)の中にある二つの島を結んで建設した都市こそ、かの有名なテノチティトラン(Tenochtitlan)です。この都市は1325年頃に建設が始まったとされ、アステカ帝国の政治・経済・宗教の中心として栄華を極めました。

なぜ島に都市を建設したのか?

伝説によると、アステカ人は「湖の中で鷲がサボテンの上にとまり、蛇をくわえている場所」を神から与えられた定住の地と信じていました。彼らがその光景を目撃したのがテスココ湖の島々であり、そこに都市を築いたと語り継がれています。

水上の都市であるテノチティトランでは、チナンパ(Chinampa)と呼ばれる湖底の泥を積み上げて作る浮き畑農法が発達し、食料生産を支えました。また、複数の堤防道路や水道橋によって本土と結ばれ、当時としては高度な都市インフラを誇っていました。

現在のメキシコシティへ

1519年にスペイン人のエルナン・コルテスらが到着し、1521年の包囲戦によってテノチティトランは陥落しました。スペイン人は都市を破壊した後、その廃墟の上に新たな植民都市を建設しました。

こうして生まれたのが現在のメキシコシティ(メキシコ首都圏)です。つまり、現代メキシコの首都は、かつて湖上に輝いたアステカの大都市テノチティトランの跡地に直接建っているのです。市内のソカロ広場周辺では、当時の大神殿(テンプロ・マヨール)の遺構が発掘され、今も訪れることができます。