
ヴィエイユ・アルマンド(Vieil-Armand)、ドイツ語名ハルトマンスヴィレルコプフ(Hartmannswillerkopf)は、フランス・オー=ラン県(68)セルネー渓谷に位置するヴォージュ山脈の丘で、1915年に激烈な戦闘が繰り広げられた第一次世界大戦の戦場です。ヴェルダン、アルトワ、シュマン・デ・ダムといった大戦の「有名な戦場」の影に隠れ、この地は今日までほとんど知られていません。しかし、この丘は決して軽視できない役割を果たし、大戦中最も凄惨な戦闘の舞台となりました。その凄惨さは犠牲者数(推定約3万人)の多さではなく、わずか「ハンカチほどの広さ」と呼ばれる狭い範囲で繰り広げられた戦闘の激しさにあります。
ヴォージュ戦線の戦略的要衝ヴィエイユ・アルマンド
ヴィエイユ・アルマンドは1914年の時点で、フランス・ドイツ両軍の将軍たちから、今後の大攻勢計画に組み込まれるべき戦略的要衝とみなされていました。両国の部隊は次第にこの丘へと進出し、頂上をめぐって4年間対峙することになります。なかでも1915年が転換点となった年です。
実際、1915年、交戦する両国はヴォージュ山脈の峰々へ兵力を集中させました。12月21日にはフランス軍が大攻勢を開始しましたが、失敗に終わっています。1916年に入ると、ヴォージュ戦線は静まりをみせ、主戦場はムーズ地方やヴェルダンなどへと移っていきました。
戦場の見どころ

わずか6km²の範囲に約3万人の犠牲者を出し、1915年の砲撃が最も激しかった時期には1分間に30発以上の砲弾が降り注ぎ、現在では年間100万人が訪れるヴィエイユ・アルマンドの戦場は、他の戦跡とは一線を画しています。たとえばヴェルダンでは、1923年の政令以降全面的な植林が行われ、当時の戦場の姿は今日ほとんど失われてしまいました。一方、この地はそのままの姿で残され、時の流れと、1968年にハルトマンスヴィレルコプフ友の会による修復・保護プログラムの対象となるまで荒らし回った鉄くず収集業者たちの被害を除けば、ほぼ完全な姿を今に伝えています。
主要なハイキングコース:記念碑・墓地・十字架
現地に到着すると、まず目に飛び込んでくるのが巨大なコンクリート造りの記念碑です。内部には、ヴィエイユ・アルマンドの戦場で回収された品々だけを集めた小さな博物館と、身元不明の1万2千人の兵士の遺骨を納めた地下納骨堂(クリプト)があります。

次に訪れたいのがシルベルロッホ墓地です。ここには身元の確認された1,264人のフランス兵の遺骨と、それぞれ64体の遺体を納めた6つの合葬墓があります。
墓地の下から、訪問者はメインの道をたどって頂上まで登り、頂上の十字架に出会うことができます。高さ22メートルのこの十字架は、1930年代に渓谷からはっきりと見えるよう照明が設けられましたが、湿気のために電気系統が故障し、何年も前から点灯していません。
頂上からは、コルマールの第152歩兵連隊「赤い悪魔たち」に捧げられた記念碑へ向かい、その後は森の中へと「降りて」いきます。訪問時間に応じてフランス側、ドイツ側、あるいはその両方を散策し、塹壕と要塞のネットワークを探索できます。
戦闘の中心部へ:掩体壕と塹壕網の見学

1914年末から大量のコンクリートを投入して頂上を恒久的に要塞化し、要塞や掩体壕(とりわけ「ビショフスフート」)を築いたドイツ軍とは対照的に、フランス軍の陣地は現在ほとんど姿を消しています。残るのはセルメとメガールの「岩」程度です。実際、フランス軍は終始「機動戦」の発想を貫き、ドイツ軍ほど「しっかり」と地中に潜ることがありませんでした。フランス軍の掩体壕は頑丈ではあったものの、ほとんどが木造で、戦場で回収した資材で補強されたものでした。さらに、頂上をドイツ軍に占拠されていたため、フランス軍は常にハルトマンスヴィレルコプフの中腹に陣取ることを余儀なくされ、塹壕網やコンクリート製掩体壕の構築にとって決して「理想的」とはいえない条件での戦いを強いられました。
ドイツ側を歩いてみると、その陣地の完成度の高さに驚かされるでしょう。工兵部隊は発電所を建設し、最前線まで電気を引きました。さらに、食料・弾薬・建材を渓谷から直接運び上げる索道(ロープウェイ)まで敷設していました。一方、フランス軍はすべてを兵士とラバの背に担いで運んでいたのです…
誰でも楽しめる観光スポット
この第一次世界大戦の重要な史跡を訪れることをお勧めします。歴史好きにもハイカーにも、占領と戦闘の痕跡が過去を雄弁に物語る場所を発見できるでしょう。ただし、森の奥深くに入る際は、今なお道に点在する有刺鉄線や「ピッグテイル(鉄条網用の螺旋杭)」にご注意ください。
また付け加えると、この地で行われた戦闘のあまりの凄惨さゆえに、ヴィエイユ・アルマンドの地下には今なお大量の兵器が埋蔵されています。ヴェルダンと同様、金属探知機による発掘は厳しく禁じられており、法律により罰せられます。
最後に、ちょっとした逸話で締めくくりましょう。『ジャングル・ブック』の著者ラドヤード・キップリングは、1916年にヴィエイユ・アルマンドの最前線を訪れています。
さらに知りたい方へ(参考文献)
A. ヴィルト『ハルトマンスヴィレルコプフ(ヴィエイユ・アルマンド)の戦闘 1914-1918』ハルトマンスヴィレルコプフ国立記念碑委員会、1977年
ティエリー・エレ『1914-1918 ハルトマンスヴィレルコプフをめぐって』エディシオン・デュ・ラン、1988年
関連ウェブサイト
ハルトマンスヴィレルコプフ友の会(「掩体壕の写真」のセクションで、フランス軍とドイツ軍の陣地の顕著な違いを見ることができます)
戦闘の経過を写真付きで詳しく解説している個人サイト