古代ポンペイの調査は、地上に姿を現している部分だけにとどまりません。その対象は、これまで誰も目にすることのなかった地下世界にも及んでいます。その一つが、フォロ(公共広場)周辺からポルタ・マリーナ(海門)を経てインペリアーレ荘(ヴィッラ・インペリアーレ)までを貫く、トンネル群と排水路の研究です。

457メートルに及ぶ地下水路の調査
2018年、ポンペイ考古学公園は洞窟学団体「コッケイウス協会」と協定を締結し、市内の雨水排水システムの分析・調査を進めてきました。この協力により、これまでに457メートルに及ぶ地下通路が調査・記録されています。

調査の目的
研究者たちの狙いは二つあります。第一に、フォロとポルタ・マリーナの間の地域がたどった歴史的変遷に関する新たな情報を得ること。第二に、排水システムの潜在的な問題点を特定し、古代の土木遺産が持つ考古学的価値を損なわない形で、排水トンネルを維持・活用していく最適な方法を見出すことです。

明らかになった水路網の全体像
調査の結果、フォロ地下に設けられた一対の貯水槽から分岐し、マリーナ通り(Via Marina)の地下を走り、インペリアーレ荘付近へと至る、トンネルと水路からなるネットワークが確認され、体系的に目録化されました。このシステムによって、マリーナ通りの水路にあふれた余剰雨水は古代都市の外へ排出され、やがて海へと流れ込んでいたのです。
3つの時期に区分された建設段階
さらに、構造物およびシステム全体について暫定的ながらも編年が確立され、この広大な地下トンネル網の歴史には、大きく分けて3つの段階があったと推定されています。
- ヘレニズム期:紀元前3世紀末~紀元前2世紀
- 共和政ローマ末期:紀元前1世紀
- アウグストゥス期以降の帝政期:紀元前1世紀末~西暦79年
つまりこの排水網は、ポンペイがヘレニズム文化圏に属していた時代からローマ帝国の都市として繁栄を極めるまで、約300年にわたり拡張と改修を重ねながら使われ続けてきたことがうかがえます。西暦79年のヴェスヴィオ火山噴火で都市の命運が絶たれるまで、地下では静かに雨水が海へ向かい続けていたのです。
出典
ポンペイ考古学公園(Archaeological Park of Pompeii)