「エスケンゴラトスのものであり、盗まれてはならない!」(Escengolati aniateios immi)、あるいは「セゴマロス、ウィッロノスの子、ネマウソス(ニーム)の市民は、この聖なる場所をベレサマに捧げる」(Segomaros ouilloneos touutious namausatis eiorou belesami sosin nemeton)——実は今あなたが読んだのは、どちらも2000年以上前に刻まれた古代ガリア語の文章なのだ。まるでアステリックスが有名な「ベリサマ」に挨拶しているのが聞こえてきそうである。

マルティアリスのカルトゥーシュのガリア語碑文(西暦1世紀):「martialis dannotali ieuru ucuete sosin celicnon etic gobedbi dugiiontio ucuetin in Alisiia」=「ダンノタロスの子マルティアリスは、このケリクノン(器?)をウクエティスに、そしてアリシア(アレジア)でウクエティスを祀る鍛冶師たち(gobedbi)とともに捧げた」
一般にはあまり知られていないが、ガリア人たちは文字による記録を確かに残している。石や土器、時には鉛板に刻まれた短いテキストである。古代世界については、「地中海世界はギリシャ語とラテン語だけで占められていた」というのが通説となっている。「しかし実際ははるかに複雑で、文化的集団ごとに数多くの方言が存在したのです」と、ボルドー・モンテーニュ大学オソーニウス研究所(CNRS UMR 5607)の研究者で碑文学者のコリーヌ・ルイス・ダラス氏は説明する。
ガリア語の碑文800点をデジタルアーカイブ化
同氏は大型プロジェクトの責任者として、「ガリア語碑文コンピュータ収集事業(RIIG)」と呼ばれるプラットフォームのオンライン公開を統括している。これは、これまでに確認された約800点のガリア語碑文(貨幣に刻まれたものは対象外)をすべて公開するものだ。翻訳と解説を施したこれらの記録には、過去30年間に考古学者、言語学者、碑文学者たちが収集したデータに基づく学術的な注釈体系が付される予定である。
「ガリアについては、もちろんカエサルの『ガリア戦記』などの歴史書があります。しかし、ガリア語の碑文のおかげで、紀元前3世紀末から西暦5世紀にかけてのガリアの住民たちの思考に直接触れることができるのです」と、断片的にしか証されていない言語の専門家である同氏は続ける。

最も有名なガリア語の文献の一つ、いわゆるコリニー暦(西暦1世紀)。リヨン考古学博物館蔵 ©Josse/Leemage/AFP
ガリア人の文字使用は、まずギリシャ文字から始まり「ガロ=ギリシャ語」を生んだ。その後、ラテン文字によって「ガロ=ラテン語」が誕生した。「これらのテキストは、ガリア人が既存の文字体系にいかに柔軟に適応していたかを物語っています」とルイス・ダラス氏は付け加える。ガリア碑文学の研究は研究者の関心を集めるのみならず、一般の人々の好奇心もかき立てる分野だ。だからこそ、古代の言葉を考古学的・歴史的な文脈とともに、すべての関心ある読者に向けて公開するのである。
これら古代の言葉は、実に多くの情報を伝えてくれる。人名学(個人名の研究)では、例えばセゴマロス、マルティアリス、エスケンゴラトスといった名前。姓というものが存在せず、父の名のみが受け継がれる世界における「あの某の息子である某」という父子関係の記録。地名学(地名の研究)では、ニームを指すナマウソス(Namausus)。さらには、角のある神ケルヌンノス、ガリアのミネルウァとも称されるベリサマ(Belisama)、そしてエスス(Esus)といった神々の名前までが判明している。

ガリアの角のある神ケルヌンノス(西暦1世紀)©Museo della Civita Romana
多言語・多文字体系が入り混じる古代ガリア社会
石に刻まれた碑文の大半は、ガリア南東部のナルボンネーズ、ローヌ川流域沿い、パリ、そして中央部のピュイ=ド=ドームやベリー地方で発見されている。皮肉なことに、現在のブルターニュ地域で確認されているのはわずか1例である。これらの銘文の多くは、神々に捧げる奉納文や墓石の墓碑銘であり、一部はスイス、ベルギー、ドイツでも見つかっている。
「北イタリアにはケルト系民族が暮らしていたため、珍しい事例もあります。5点のガリア語碑文が……なんと『ガロ=エトルリア文字』で刻まれていたのです」とルイス・ダラス氏は語る。これらのテキストは、ガリア人が多言語・多文字体系の中で活動していた実態を雄弁に物語っている。
「例えば、ヴォクリューズ県ヴェルロンで発見された紀元前1世紀の石碑とその献辞をご覧ください。『カイオス・インドゥティロとその妻サモラティス、アネクトスの娘、こんにちは!(kaios indoutilo samolatis anektia oualete)』。ここには所有者のガリア名とラテン名、妻のガリア名、ラテン語の挨拶の言葉が並び、しかも碑文全体がギリシャ文字で書かれているのです!たった一枚の刻印された石から、当時のアイデンティティの交錯ぶり、文字体系や話されていた言語の混在ぶりがうかがえます。ガリア人の適応力を捉えた、まさに真のスナップショットと言えるでしょう!」と専門家は興奮気味に語る。

ニームの母神たちへの献辞。ニーム・ローマ文明博物館所蔵:「[...]アルタロス、イッラヌスの子は、感謝の意を込めて、あるいは願いの成就のために十分の一税とともにニームの母神たちに(それを)捧げた」(ピエール=イヴ・ランベール訳)©RIIG
土器にも独自の役割があった。そこに刻まれたのは、多くの場合「私は〜のものである」といったごく短い所有権表示である。古代世界全体に共通することだが、宴席で使われた陰茎意匠の水差しなどの飲酒具には、時に下品な文言が見られる。しかし、それだけではない。こうした落書きの一部は、羊毛を紡ぐための女性用道具である糸車の錘にも確認されているのだ。

ガロ=ラテン語の魔術文が刻まれた鉛製のデフィクシオ板(西暦1世紀)、シャマイエール(ピュイ=ド=ドーム県)出土 ©Musée Bargoin
鉛板に刻まれた呪い——「デフィクシオ」
「もう一つの重要なグループとして、鉛板に刻まれたいわゆる『デフィクシオ(呪詛)板』と呼ばれるガリア語碑文があります」と碑文学者は続ける。古代世界において、こうした悪意ある碑文は冥界の神々に捧げられたものであった。安価で広く流通していた鉛は、何よりも刻印しやすい素材だった。呪い、悪態、魔術的行為——標的となる人物に最悪の結末を約束し、公衆の面前で断罪するためなら、あらゆる手段が用いられた。ガリア人もまた、古代の他の多くの民族と同じようにこれらを活用したのである。
「こうした復讐の板は墓に納められていました。死者の方が、冥界の神々へ呪いやアナテマ(聖絶の宣告)をより早く届けてくれると信じられていたからです」とルイス・ダラス氏は説明する。
現在、約15名の欧州の研究者たちがこのプログラムに協力しており、2022年にはその全体がオンラインでアクセス可能になる予定である。